別宮八幡神社 香川県東かがわ市西山 旧・村社
現在の祭神 応神天皇
本地 阿弥陀如来

梶原景紹「讃岐国名勝図会」巻之一

八幡宮[LINK]

八幡宮〈西山村にあり。社僧別宮寺、祭礼八月十四日〉 本地堂〈阿弥陀如来〉
当社は往古北山にあり。 永正二年焼失して、寛文年中、今の地に遷せり。

「白鳥町史」

別宮八幡神社[LINK]

祭神 応神天皇
由緒 当社は、西山、東山両地区の氏神である。 もとこの地区は、白鳥の地にあった旧白鳥八幡宮の氏子であったが、遠隔である上に、洪水のために参拝することができない事があって、別に一社を建て、別宮八幡と称するに至ったという。 それにより社殿を白鳥の方向に向けて建てたので、「北向八幡」の別称が生まれたという。
 なお、その創祀の年号は不明であるが、延慶三年(1310)にご供田を開き、放生池を築いたという伝説があるから、鎌倉時代には創建せられていたものと、みるべきであろう。 そのころは、仙峨山の神北嶺に鎮座していたが、永正二年(1505)十一月十日、天火が起って焼失し、同年十二月十六日、山下を開いて社壇を営なんで再建したといい、そこを梅の木の石塚というと縁起には記してある。
 下って、寛文五年(1665)秋、白鳥宮再興に伴ない、集宮に仮安置せられていた「鶴内八幡」の御神霊を、「別宮八幡」の相殿に遷座した模様であり、今も宝殿は二つあるという。 なおこの時、社地を現在地に移し、社殿なども新築し、社号を「鶴内八幡宮」と改め、別宮寺を別当寺に定められたという。
[中略]

鶴内八幡宮縁起(別宮八幡神社)蔵
[前略]
 抑、鶴内八幡宮勧請年暦不詳。 往昔は今の白鳥村、田中大明神の地にて、実に貴麗なる宮を営み、大伽藍を建て、則ち社殿再営の棟札上の如し。 爰に祝祠師神宮寺と号し、外に小寺五ヶ寺あり、高松寺、地蔵寺、観音坊、安養坊、薬師坊等なり。 神宮寺事は、人皇四十五代聖武天皇御宇天平十一己卯年(739)に、行基大僧都の開基にして、最とも彼の神を崇信す。 則ち御本地仏として、自ら阿弥陀如来の尊像を作り安置し奉る。 其後弘法大師重て之を修造す。 已来御神殿并に諸堂等、造営修覆度々之を加えると雖ども、諸国打続き乱世止む事無し、之に依て御玉殿、諸堂等、兵火の為に度々焼失に及ぶ。 尓れ共、誉田神霊村上天皇御宇棟札等、御神徳の故欤、今に別条無く在存す。
[中略]
 慶長年中(1596~1615)に、辱も国主御施主になり給い、郡民資財を寄附し、郡民資材を寄附し、程無く一宇一社を建立す。 則ち旧例に任せ御神体并に諸尊安置す。
一、御本殿(東西三間、南北二間)、幣殿(東西二間、南北三間)、拝殿(東西五間、南北三間半)
  御神体、白鳥八幡宮、今の鶴内神、誉田霊也
  相殿 日本武尊霊右 仲哀天皇左
一、脇宮(十社合殿)  一、神楽所
一、御供所       一、神門
一、神馬屋(神馬あり) 一、鳥居 石二、木一ツ但わくざし
一、本地堂(三間、四間) 阿弥陀如来安置
一、金塔(五間四面) 能満并諸尊安置
一、観音堂 観自在、并毘沙門天、弁財天安置
一、薬師堂 薬師仏、日光、月光、十二神将安置
一、二天門 二天安置
一、鐘楼堂
一、書院、庫裏、表門、宝蔵、納屋等迄造営、元和年中(1615~24)迄に悉く成就す。
[中略]
 復寛文年中(1661~73)に、国主竜雲院殿頼重公様思召によって、奏聞を遂げ為せられ、日本武尊神霊を本殿に鎮座ならしめ、唯一神道の流を汲み給う由に付、白鳥八八幡宮御霊を集宮に置成され給う処、去る寛文五乙巳年(1665)後秋十五日午時、白鳥八幡宮神霊并に幣帛等、威光を放ち大地震動して、遙に当所に飛び来り給う。 則ち別宮八幡宮御社殿外に御鎮座ましまし給う。 見聞の諸人皆々不思議に存じ、其の夜産子始め他邦の人々も通夜を致し、事甚だ群集せり。 其の時御鬮を入れ候処、則ち当山に御鎮座在らせらる可く御鬮下り給う。 諸人隨喜の涙を流し奉る。
[中略]
 爰に日本武尊御神殿御再建に付、鶴内寺の堂社等取壊候に付、住僧権律師増誉(鶴内寺中興より二代目)、大窪寺へ移転被仰付、御墨付の寺領二十五石、什物、釣鐘、喚鐘等、是れも仰付らるに依って彼の寺へ持参す。 釣鐘は持越の砌、四ツ足堂峠と云う所にて、七、八間程谷底へ取落、少々破損の由。 扨、鶴内の御本地仏阿弥陀如来は観音堂に安置、漸く延宝年中に鶴内寺の跡、社外に建立して栄国寺と号す。 浄土宗に改め、則ちト部家の壇所とす。 鶴内御本地彼の寺の本尊に成す。 観音堂も同院へ引取り立てる。 本堂は(金塔事也)、今の千光寺所望に付寄附、并弘法大師御作大聖不動明王、脇立の二天等、是も千光寺所望に依て相贈候。 地蔵堂は今の観音寺へ寄附、護摩堂は薬師坊へ寄附、其余の諸尊等は有縁の信者に拝され候。