この神社そのものは、いわゆる「延喜式神名帳」に式内社として登載がある。 その後の消長は明らかでないが、現在の本殿の建立については、「奉修造奥州宗社磐瀬郡惣鎮守桙衝大明神本地十一面観自在菩薩社堂一構」と記す慶安元年(1648年)五月の棟礼と、保存されているやはり同年月の記名ある「祈念祭秡」末尾の記載から、白河城主松平忠次の命によるこの時期のものと判定される。