澄禅「四国遍路日記」
一ノ宮、道ゟ一町斗田ノ中ニ立玉ヘリ。
地形余リヒキクシテ洪水ノ時悪鋪故、南ノ山エ度々移奉シカトモ元ノ地エ安座可在由、度々咤宣在ル故此所ニ御座ト也。
本地十一面観音也。
夫ゟ川ヲ渡テ一本松ト云村ヲ過テ、新屋敷ト云所ニ右ノ社僧天養山保寿寺ト云寺在リ。
寺島良安「和漢三才図会」巻七十九
四国遍路八十八箇寺(伊予)[LINK]
凡四国遍路八十八箇寺の内所有二十六番
[中略]
一之宮(六十二) 在同郡[周敷郡] 平地東向
本尊 十一面観音(立像一尺二寸)
神仏分離後の六十二番札所は天養山宝寿寺。
安達忠一「同行二人四国遍路たより」
第六十二番 天養山宝寿寺(一の宮)[LINK]
御本尊十一面観世音菩薩 大師の御作。
当寺は俗に一の宮と称され、聖武天皇の御宇伊予一の宮の別当として建立された勅願寺で、弘仁年間には大師一刀三礼して御本尊を刻み安置せられた霊刹です。
元は線路の向の森にある一の宮神社の側にあつたのですが、鉄道敷設の節今の地に移転したのであります。
宮脇通赫「伊予温故録」
一ノ宮神社
新屋敷村字居屋敷に在り、
大国主命を祭る、
天平年中勧請す、
昔は中山川の北方井手郷白坪の里にあり、
寛永三年一柳直頼入部以来一ノ宮三島高鴨の三社を産土神と定め宝寿寺を以て当社の別当とす、
延宝七年十二月寺院と同く今の地に移す、
明治三年宝寿寺は南川村香園寺へ合併す
[中略]
宝寿寺
新屋敷村字居屋敷に在り、
天平年中聖武天皇勅願に依り白坪郷に大己貴命を勧請し国家鎮護とす、
道慈律師其傍に一宇を建立して金剛宝寺と号して別当たり、
又た弘仁年中空海来て手つから十一面観音を刻し本地仏とす、
其の堂宇破壊しけれは天養元甲子年再興す依て天養山と号せり、
後宝祚長久を祈らんか為め金剛宝寺を改めて宝寿寺と号す、
其後延宝七年十一月僧宥伝今の一ノ宮の地に移す、
明治三年南川村香園寺へ合併せしか同十一年七月十七日僧龍扁再興の官許を得て今の地に再興せり、
四国巡拝六十二番の札所なり