石清尾八幡神社 香川県高松市宮脇町1丁目 旧・県社
現在の祭神 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
本地 阿弥陀如来

梶原景紹「讃岐国名勝図会」巻之六上

石清尾八幡宮[LINK]

石清尾八幡宮〈中ノ村にあり。社司松平円丸、祠掌鈴木益・枝脇平三郎、下禰宜四人、伶人九人、神楽役六人、神子四人、神馬役四人。農具市四月三日、祭礼八月十五日、放生会十一日十五日、庭燎〉
祭神誉田天皇 相殿〈気長足姫尊・足仲彦天皇〉
[中略]
そもそも当社の勧請は、年暦久遠にしてその濫觴さだかならず。 あるいは云ふ、養老年中また延喜十八年御勧請なりとも云々。 中古貞治二年、細川右馬頭頼之朝臣、予州河野氏征伐の時箆原庄に来り、石清尾八幡宮へ祈願これあり。 よつて予州平定の後八幡宮へ凱陣ありて立願成就拝謝の為、臨時の祭を修行す。 四月三日神事これなり、古は甲冑弓箭を帯し、騎馬を打ちて五十騎三十騎を以て神前を通りけるが、今はその例亡びたり。 国民北市に出づるを本旨とす、これ俗に右馬頭市といふ。 さて社頭を修造し神領を寄附し、中納言藤原家成卿末裔香西七郎資邦三男佐料三郎盛邦を祠官に定めらる、後に友安氏と改む。 武器等を奉納ありて大社とはなれり。 爾已来寛永二十年、かしこくも国祖君社殿を新たに御再興ありて、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮を摸したまひ、祭礼式は石清水に倣ひて累年かはる事なし。 代々の国君御造営并びに御寄附物等あり。 なかんづく前国君、四神の御旗御寄附なしたまへり。

円満寺[LINK]

円満寺〈同所にあり。摩尼山善慶欲院。寺領五石。真言宗、同末寺〉 本尊地蔵菩薩〈行基大士作〉
阿弥陀堂〈境内にあり。石清尾八幡宮本地仏これなり〉 鎮守社〈妙見・荒神〉
当寺は天平九年、行基菩薩草創なり。 以上五ヶ寺[福寿院、浄光院、覚王寺、観音寺、円満寺]、明治二巳年御一新によりて廃寺とはなりぬ。