| 熊手八幡宮 | 香川県仲多度郡多度津町西白方 | 旧・郷社 |
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| 現在の祭神 |
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| 本地 |
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讃岐国三井郷白方村当所霊地。 夫八幡者三尊一神也。 中御前者、尋本地阿弥陀如来大通仏。 昔十六沙弥歯列冊提嵐之古、一千太子尊親也。 或捨金輪為沙門、或経五劫発大願。 四十八願荘厳浄土、二百十億構在。 妙事利生者諸仏王也。 三代任儀、相継不絶。 故一称十悪五逆構取不捨。 故道俗貴賤悉仰誓願云云。 論垂跡則本朝仁王第十六代聖主応神天皇御霊也。 唯我大菩薩尋本地東域聖皇今亦宗廟神明也。 三事兼一非聊爾、三尊一神也。 次西御前、尋本地大勢至菩薩。 弥陀如来右脇之弟子、浄土第二補処也。 未来当成正覚、号善住功徳宝王如来。 論垂跡吾朝仁王第一神武天皇御母玉依姫之尊也。 本朝曩祖、日域国母也。 次東御前、尋本地観世音菩薩也。 安養宝刹第一儲君、娑婆世界施無畏者、未来尚号正法明如来。 論垂跡日域第十五代聖主神功皇后之御霊也。 又若宮権現、尋本地十一面。 以大光普照之光、破長夜之暗澄、本地清涼、月顕藂。 初浴密示嬰童子形、新絶薬樹王用給也。 又若宮王女、尋本地普賢菩薩。 故一乗読誦窓前、去社壇而恒順十法成、乗床頭垂影向而摩頂。 又武内大神、尋本地無量寿仏。 是無上念王後身也。 昔冊提嵐国聖王、以十善撫民。 今成大日本国大臣、仕六代助化。 利益衆生方便也。 次高良大明神、尋本地大勢至菩薩也。 論垂跡誉田天皇御宇、為朝廷晨昏、武臣扶万機之政。 八松童、尋本地地蔵菩薩也。 為無仏世界之衆生利益、示和光同塵像者也。
〇熊手八幡宮 西白方村にあり、社僧仏母院、供僧西方寺、宝光院、上生寺、社人対馬袖子次人、祭礼八月十五日
東西白方、奧白方、庄村、青木村、多度津、六村氏神
本地堂(阿弥陀如来)土仏(弘法大師作、本地仏ならん) 釈迦堂旧跡(境内にあり)
〇熊手八幡神社(郷社) 当社は弘仁十年弘法大師勧請なり、 釈迦の尊像を安置して本地仏とす、 帝是を嘉して勅額をたまひ供僧四十八宇宮仕巫女数十人あり、 白方青木庄村を以て社領とす、 延久五年道隆寺祐禅和尚修理す、 文明十三年八月修理造営す迂宮導師は道隆寺秀任法印なり、 永仁七年十二月十三日大般若経を奉納す願主は道隆寺廿七世秀延和尚なり。 箱願主は雨霧城主平朝臣清景なり、 道隆寺住持良田と云者常に当社御神躰の破壊を歎せしか文禄五年白方屏風浦の海中に大木流れ来れり。 毎夜奇光をはなつ後浜辺に流れよれり、 其形蛇の横はるに似たり、故に人多蛇檀木と名付く、 則彼木を以て自ら尊像八躯を彫刻し開眼供養して宮中に安置す、 蓋往古大師神躯を安置せしにならへり、 寛文十一年八月修理迂宮あり。
或書云いつの時か字佐より飛来りたまへり、 白方村の山に夜毎に光有、 土人あやしみて往いて見れば松に熊手かゝり弥恐て僧を集て誦経しけるに少僧に託して云、朕は宇佐八幡宮也、此地に檀者誕生あるべきによりて来れりと有けれは即ち其地に祠を立て祭る、 果して空海此地に誕生あり、 後に空海高野山關きたまへるときの熊手亦高野山に飛往て松にかゝれり。 今に高野山に有二間斗の柿の熊手帒に入長押にかけ其下に檀をかまへて行人のまつれる者也、 依て白方には其代の熊手を作りて祭る後今の地にうつせり。 今の地は多度津より往還の北の手路の傍にあり、もとの社地の山を御山といふ、又今馬場と云、其社の馬場也、 馬場は白方より南一本松越の道なり、 高野山巡寺八幡宮記曰、此神は大師の産土神にして往昔讃州多度郡白方村に鎮座し玉ふ、 其神異と称し奉るは神功皇后三韓御征伐の御簇及御簇竿中差の御矢也とそ、 そのかみ蒙古襲来の時神威によつて夷賊鏖滅して後御簇海を渡り紀河を沂り伊都郡山崎村涼の森の松梢に掛り玉ふ(此松供水に流れしとそ、今は同郡兄井村の淵上にあり) 即神勅にしたかひ当山に迎へ奉るといふ。 大師と御誓約に曰、聖と吾とは影と形との如し、聖のおはするところは吾必行むとのたまへりとなん、 東寺東大寺にも大師の在し時御影向ありしかは今に神祠あり (年中精祈至て厳密なり) 蓋旗直に拝せん事を恐れて元和年中奏聞をふる所仁和寺覚親法親王に勅して銅筐に納め勅封をくはへ玉ふと云。