この忍憧という人は、八丁目の生れで、八丁目天満宮を篤く信仰し、長じては奈良に上って僧として大成し、安永七年(1778)、福島市真浄院で寂滅したと伝えられる。 [中略] また忍憧は、安永七年、天満宮に十一面観世音を安置したいと発願し、師慧海より河内国道明尼律寺二之室住持春澄明照大姉持仏、弘法大師作の十面観世音を譲られ、天満宮の本地仏とした。 明治以来十一面観世音は西光寺に安置されている。