与田神社 香川県東かがわ市与田山 旧・村社
現在の祭神 大倭根子日子国玖琉命(孝元天皇)
本地 阿弥陀如来

坂口友太郎「白鳥町風土記」

与田神社[LINK]

祭神 大倭根子日子国玖琉命(孝元天皇)
由緒 『若一王子大権現縁起』(後出)によれば、いつ勧請されたか不明であるが、熊野から神が飛来したので祀ったとある。 その後、行基菩薩が北山下に自作の観音像を観音堂に安置。 次に弘法大師が修造して王子坊と改め、その東に弥陀金像を祀る東陽坊を建て、西には自ら造る泥塑の薬師を祀って薬師坊と号した。 又、慈覚大師が来て阿弥陀如来を作って本尊としたという。
[中略]
阿弥陀如来立像
 桧材寄木造、鎌倉期の風情を持っているが、江戸期のものという。 もと、王子権現のご本尊であったが、松岡調翁によって取り除かれ、旧権現社に祀られていたもの。
懸仏八面
 阿弥陀如来と共に、旧権現社に奉安せられていたもの。 熊野信仰に伴なって鎌倉期に盛行した信仰の対象物で、八面も多数の懸仏が一度に発見せられたことは、県下でも他に例がなく、大変貴重な文化財であるという。
鎌倉初期 阿弥陀如来 一面
 十一面千手観音菩薩 一面
鎌倉中期 如意輪観音菩薩 一面
 十一面観音菩薩 一面
鎌倉末期 薬師如来 一面
 十一面千手観音菩薩 一面
 阿弥陀如来 一面
室町期 薬師如来 一面

若王寺[LINK]

阿弥陀如来光背銘
 讃州大内郡与田山若一王子大権現本地弥陀慈覚大師作、 享保二丁酉五月吉日修復、 檀主同所渡瀬平次兵衛正庸、 別当王子坊増律、 仏工京大宮六角照暁

旧権現社[LINK]

祭神 不詳、王子権現(与田神社)の祭神を、『大川郡誌』は「八将神」とし、『全讃史』は、護良親王を祀り王子宮と仰ぐとあるが、それは誤りである。 この社殿内に、阿弥陀如来が安置せられており、又懸仏のあったことより推すと、名称の如く、本来は王子権現を祭ったものと思われる。
由緒 『年々日記』に、「本地の仏像及び棟札などとり除く」とあり、三枝宥暢氏の遺稿に、「王子権現を一時客殿のすぐ東側に移し、明治十四、五年に今所(寺山)に遷座せり」とある。 従ってもと王子権現の本地仏であったが、明治二年、神仏分離に伴なって若王寺へ一時移していた。 その後現在地に社殿を新建して奉安したものであり、神社でありながら仏像を御神体とする、昔の遺風が残こっていたことは驚きに値する。 昭和五十七年七月十四日、奇しくも与田神社の夏祭の日に棟札などを調査中、偶然に私が本尊阿弥陀如来並びに懸仏を発見したものであり、その後与田神社本殿に移された。