第十 香取大明神事
香取大明神は下総国の一宮である。 本地は観世音菩薩である。また、玉崎明神は二宮である。
香取も玉崎も同じく本地は十一面観音である。
内大臣従二位藤原朝臣良継病む。其の氏神鹿島社を正三位、香取神を正四位上に叙す。
謹みて旧貫を考ふるに、当社は、神武天皇御宇十八年〈戊寅〉、始て神柱を立てしより以降、今年正和五に至り、一千九百五十九年也。
(伊弉諾尊が)遂に所帯せる十握剣を抜きて、軻遇突智を斬りて三段に為す。 此各神と化成る。 復た剣の刃より垂る血、是れ天安河辺に所在る五百箇磐石と為る。即ち此れ経津主神の祖なり。 復た剣の鐔より垂る血、第五段一書(七)[LINK]には激越 きて神となる。号けて甕速日神と曰す。次に熯速日神。其の甕速日神は、是れ武甕槌神の祖なり。 亦曰く、甕速日神。次に熯速日神。次に武甕槌神。 復た剣の鋒より垂る血、激越きて神となる。号けて磐裂神と曰す。次に根裂神。次に磐筒男命。 一に云はく、磐筒男命及び磐筒男命といふ。 復た剣の頭より垂る血、激越きて神となる。号けて闇龗と曰す。次に闇山祇。次に闇罔象。
軻遇突智を斬る時に、其の血をとある。激越 きて、天八十河中に所在る五百箇磐石に染む。 因りて化成る神を、号けて磐裂神と曰す。次に根裂神、児磐筒男神。次に磐筒女神。児経津主神。
伊弉諾尊、遂に所帯せる十握剣を抜きて、軻遇突智の頸を斬りて三段に為す。とある。
[中略]
復た剣の鐔より垂る血、激越て神と為る。亦湯津石村に走り就きて成りませる神の名は天尾羽張神と曰ふ。〈亦の名は稜威雄走神、又は甕速日神と云ふ、亦は熯速日神と曰ふ、亦は槌速日神と曰ふ〉
今天安河上なる天窟に坐す神也。
児武甕槌之男神。〈亦の名は建布都神、亦の名は豊布都神〉
今常陸国に坐す鹿島大神、即ち石上布都大神是れ也。
復た剣の鋒より垂る血、激越て神と為る。 亦湯津石村に走り就きて成りませる神の名は磐裂根裂神と曰ふ。 児磐筒男・磐筒女二神。 相生める神の児は経津主神。
今下総国に坐す香取大神是れ也。
復た剣の頭より垂る血、激越て三の神と為る。 名を闇龗と曰す。次に闇山祇。次に闇罔象。
経津主神は天之鎮神也。 其の先は諾尊より出る。 初め諾尊温突(遇突)を斬リ、血、赤き霧と成る。 天下陰闇、直に天漢に達し、三六五度七百八十三の磐石と化為る。 是れ、星度之積と謂ふ也。気、神と化為る。 号して磐裂と謂ふ。是れ、歳星の精と謂ふ。 裂、根去を生む。是れ、熒惑の精と謂ふ。 去、磐筒之男を生む。是れ、太白の精と謂ふ。 男、磐筒之女を生む。是れ、辰星の精と謂ふ。 女、経津主神を生む。 是れ、鎮星の精と謂ふ。とある。
高皇産霊尊、更に諸神を会へて、当に葦原中国に遣すべき者を選ぶ。 僉曰さく、「磐裂・根裂神の子、磐筒男・磐筒女神が生める子、経津主神、是佳けむ」とまうす。 時に、天石窟に住む神、稜威雄走神の子甕速日神、甕速日神の子熯速日神、熯速日神の子武甕槌神有す。 此の神進みて曰さく、「豈唯経津主神のみ大夫にして、吾は大夫にあらずや」とまうす。 其の辞気第九段一書(一)[LINK]には慷慨 し。 故、以て即ち、経津主神に配へて、葦原中国を平けしむ。
二の神、是に、出雲国の五十田狭の小汀(稲佐の浜)に降到て、則ち十握剣を抜きて、倒 に地に植 てて、その鋒端に踞て、大己貴神に問ひて曰く、「高皇産霊尊、皇孫を降しまつりて、此の地に君臨 はむとす。故、先づ我二の神を遣して、駈除ひ平定 めしむ。汝が意如何。避りまつらむや不 や」とのたまふ。 時に、大己貴神対へて曰さく、「まさに我が子に問ひて、然して後に報 さん」とまうす。 是の時に、其の子事代主神、遊行て出雲国の三穂(美保)の碕に在す。釣魚するを以て楽とす。或いは曰く、遊鳥するを楽とすといふ。 故、熊野の諸手船〈亦の名は天鴿船〉を以て、使者稲背脛を載せて遣りつ。 而して高皇産霊の勅を事代主神に致し、且は報さむ辞を問ふ。 時に事代主神、使者に謂りて曰く、「我が父、避り奉るべし。吾亦、違ひまつらじ」といふ。 因て海中に八重蒼柴籬を造りて、船枻を踏みて避りぬ。 使者、既に還りて報命す。
故、大己貴神、則ち其の子の辞を以て、二の神に白して曰さく、「我が怙めし子だにも、既に避去りまつりぬ。故、吾れ亦避りまつるべし、如し吾れ防禦がましかば、国内の諸神、必ずまさに同じく禦ぎてむ。今我れ避り奉らば、誰か復た敢へて順はぬ者あらむ」とまうす。 乃ち国平けし時に杖けりし広矛を以て、二の神に授りて曰く、「吾此の矛を以て、卒に功治せること有り。天孫、若し此の矛を用て国を治らば、必ず平安 くましましなむ。今我当に百足らず八十隈に、隠去れなむ」とのたまふ。 言訖りて遂に隠りましぬ。
是に、二の神、諸の順はぬ鬼神等を誅ひて、〈一に云はく、二の神遂に邪神及び草木石の類を誅ひて、皆已に平けぬ。其の不服はぬ者は、唯星の神香香背男のみ。故、加 倭文神建葉槌命を遣せば服ひぬ。故、二の神天に登るといふ〉果に復命す。
天照大神、復武甕槌神及び経津主神を遣して、先づ行きて駈除はしむ。 時に二の神、出雲国に降到り、便ち大己貴神に問ひて曰く、「汝、此の国を第九段一書(二)[LINK]には将 て天神に奉らんや以不 や」とのたまふ。 対へて曰さく、「吾が児事代主、射鳥邀遊して三津の碕に在り。今まさに問ひて報さむ」とまうす。 乃ち使人を遣して訪ふ。 対へて曰く、「天神の求ひたまふ所を、何ぞ奉らざらむや」とまうす。 故、大己貴神、其の子の辞を以て、二の神に報 す。 二の神、乃ち昇りて、復命をもて告して曰さく、「葦原中国は、皆己に平け竟へぬ」とまうす。
天神、経津主神・武甕槌神を遣して、葦原中国を平定めしむ。 時に二の神曰さく、「天に悪しき神有り。名を天津甕星と曰ふ。亦の名は天香香背男。請ふ、先づ此の神を誅ひて、然して後に下つて葦原中国を撥はん」とまうす。 是の時に斎主神を斎之大人と号す。 此の神、今東国の檝取(香取)の地に在す。とある。
既にして二の神、出雲の五十田狭の小汀に降到りて、大己貴神に問ひて曰く、「汝、将に此の国を以て、天神に奉らんやいな以不 や」とのたまふ。 対へて曰く、「疑ふ、汝二神は、是れ吾が処に来せるに非ざるか。故、許さず」とのたまふ。 是に経津主神、則ち還り昇りて報告す。 時に高皇産霊尊、乃ち二の神を還し遣して、大己貴神に勅して曰く、「夫れ汝が治す顕露の事は、是れ吾孫治すべし。汝は以て神事を治すべし。又汝が住むべき天日隅宮(出雲大社)は、今供造りまつらむこと、即ち千尋の栲縄を以て、結ひて百八十紐にせむ。其の宮を造る制は、柱は即ち高く太く、板は即ち広く厚くせむ。又田供佃らむ。又汝が往来ひて海に遊ぶ具の為には、高橋・浮橋及び天鳥船、亦造りまつらむ。 又天安河に、亦打橋造らむ。又百八十縫の白楯供造らむ。又汝が祭祀を主むは、天穂日命、是なり」とのたまふ。
是に、大己貴神報して曰く、「天神の勅教、如此慇懃 なり。敢へて命に従はざらむや。吾が治す顕露の事は、皇孫当に治めたまふべし。吾は退りて幽事を治めむ」とまふす。 乃ち岐神を二の神に薦めて曰さく、「当に我に代りて従へ奉るべし。吾、将に此より避去りなむ」とまおして、則ち躬に瑞の八坂瓊を被ひて、長 に隠れましき。 故、経津主神、岐神を以て郷導として、周流 きつつ削平 く。逆命 者有るをば、即ち加 斬戮 す。帰順 ふ者をば、即ち加 褒美 む。 帰順ふ首渠 は、大物主神及び事代主神なり。 乃ち八十万の神を天高市に合めて、帥ゐて以て天に昇りて、其誠款の至を陳す。
高天の神王、高御魂・神魂命の皇御孫命に天下大八嶋国を事避さし奉らしし時に、出雲臣等が遠祖天穂比命を、国体見せ遣はしゝ時に、天八重雲を押別て天翔り国翔りて、天下を見廻て返事申給はく、「豊葦原の水穂国は、昼は五月蠅なす水沸き、夜は火瓮なすとある。光 く神在り、石根・木立・青水沫も事問て、荒ぶる国在り、然れども鎮め平て、皇御孫命に安国と平けく知ろしめし坐さしめむ」と申して、己命の児天夷鳥命に布都怒志命を副へて、天降し遣して、荒ぶる神どもを撥ひ平げ、国作しゝ大神(大己貴神)をも媚び鎮めて、大八嶋国の現事・顕事、事避らしめき。
天地の権輿、草木言語ひし時、天より降り来りし神の名を、普都の大神といふ。 葦原の中つ国を巡り行でまして、山河のとある。荒梗 の類を和平け給ひき。 大神、化道已に畢へて、心に天に帰らむと存し、やがて身に随ひし器杖〈俗にいつのといふ〉・甲・戈・楯・剣、執らしゝ玉珪、悉皆に脱屣ぎて、茲の地に留め置ぎて、すなはち白雲に乗りて、蒼天に還り昇り給ひき。
天神七代をは伊弉諾・伊弉冊と申しき。伊弉諾尊は男神なり、今の鹿嶋の大明神なり。伊弉冊尊は后神なり、今の香取の大明神なり。とある(引用文は一部を漢字に改めた)。
壬申は二柱の神、高天原より天の逆鉾を差下し、自凝島を得造り、筑波山に落下し、男体女体と顕れ、鹿嶋香取大明神と現れ給ふ日也。とある。
| 垂迹 | 本地 |
|---|---|
| 香取大明神 | 十一面観音 |
創建は社伝に據るに、景行天皇の御宇、日本武尊東征の時、海上難に逢ひ、妃弟橘姫命海中に入り、依りて無事着岸させられたるが、尊、御船印を当社に留め給ふと云ふ、然れば其以前の創建なるべし。とある。
当社は人王十二代景行天皇の御子日本武尊東夷御征討に付、相模走水より上総国に渡らせ給ふ。 其時御船海上にて暴風逆浪に逢ひ殆んど覆沈せんとす。 愛妃橘媛命曰く、之れ海神のなす所なりと王に替りて、入水す。 故に風浪穏に上総国に上陸す。夫より又海上下総芦の浦を経て玉の浦を横切り、陸奥え渡らせ給ふ。 其神験を賽し大綿積命の御女玉依媛命を此の玉ヶ崎え斎き奉る。 因て玉ヶ崎明神と尊称す。とある。 また、玉崎神社の由緒[LINK]には
当神社は景行天皇紀の四十年[111]日本武尊の東夷征討の砌、海上安穏夷賊鎮定の為、玉の浦の東端玉が崎に海神玉依姫命を御祭神として創祀せられたと伝えられる御社であって、竜王岬の地名は即ちこれによって起っている。 降って戦国争乱の世の天文二年[1533]、積年の海触を避けて神域を現在の地に移した。とある。
| 垂迹 | 本地 |
|---|---|
| 玉崎明神 | 十一面観音 |