| 粟神社 |
京都府城陽市市辺大谷 |
式内社(山城国綴喜郡 粟神社) 旧・村社 |
「青谷村誌」
山城国綴喜郡椎尾山観音寺縁起
夫当寺者人皇四十五代帝聖武天皇御宇天平十戊寅年三月東大寺沙門行基菩薩此処に遊歴し給ひ、唐櫃瀧に於て一七日参籠ましましけるに一人の老翁告て曰く、汝不知哉是より西に当つて椎の大樹あり是諸天善神常に擁護する処の木なり、即ち此樹を刻せば我も来て倶に彫刻の助力をなさん云々と。
行基問曰君は誰なるや、答曰我是当山の地主神粟大明神なりといふ。
伝曰椎尾山在椎大樹往昔粟大明神の天降給所之霊木也以有椎樹號椎尾山云々。
夫より神の教に従ひ大樹のもとに至り見給ふに、群蝶の集り遊戯せり仍て菩薩観念三昧に入り給へば諸仏薩埵囲繞し給ふにぞありける、御声清涼たり、
其時翁の神教へて曰く、此樹世尊の出生の刻同じく生ぜり、仍其枝葉西の空に向へりと、
于時菩薩杣工に命じて樹を伐らしめ給ひて觀世音の尊像全成せり、
于時翁の神恭礼して一喝を唱へてのたまはく、
大悲応現塵沙界、慈眼感応円通尊、万徳久遠諸衆生即滅罪障、即福生皆倶引導生、浄土普門示現大円鏡
と唱へ給ひ忽ち光明赫々然として観世音と現じ紫雲に乘じ飛び去り給ふ。
菩薩則歓喜の涙を袖に浸し、右の趣天朝に奏聞し奉り給へば叡感殊に麗しく、当国栗隈の郷(久世郡にあり)に於て稲束戸五千三百束の采地を賜はり、良弁僧正伽藍落慶の導師として一浄利なれり。
仍椎尾山観音寺と号し侍りぬ。
則ち本尊観世音は大和国長谷寺観音の模形を写し給ひぬれば、又新長谷寺とも呼び来れり。
就中粟大明神の御本地仏なりと云々。
「城陽町史」第1巻
廃観音寺は、山号を椎尾山と号した。
寺址については現在の粟神社の東方、高塚山、飯盛山附近の山中にあったものと推定される。
『青谷村誌』にかかげる「椎尾山観音寺縁起」によると、当寺は僧行基が唐櫃の滝にて一七日間の参籠中、粟大明神の神告によって椎の木で一体の十一面千手観音像を造って安置したのが起りといゝ、また大和長谷寺の観音を模刻したので一つに新長谷寺といったとつたえられる。
おそらく観音を粟大明神の本地仏とし、その神宮寺として建立された寺であろう。