古々より人棲み着きて薪炭の生産を業となし、深谷の間に耕地を求め、自給自息の生計を立て霊峰深山の恩恵に感謝する木樵等相謀り山の守護神たる日吉之大神を信仰した事と思考せらる。 [中略] 時代は移り、天台宗門領の指配等により、山王之宮を中心に信仰を深めた事と思はるゝ。 境内の一字に聖観音を祀るも本地仏であり、木造朱塗両部鳥居(気比型)山王宮の古額在り、明治初年大政官布告に依り社名を広峰神社と呼称せらう。