桑名宗社 三重県桑名市本町 式内社(伊勢国桑名郡 桑名神社・中臣神社)
旧・県社
現在の祭神 天津彦根命・天久々斯比乃命 <桑名神社>
天日別命 <中臣神社>
[配祀] 建御雷神・斎主神・天児屋根命・比売神
[合祀] 波母山神・大己貴神・少彦名神・神皇産霊神・須佐之男命・日本武命・宮簀媛命・加良洲大神・大山祇大神・木花開耶毘売命・天照大御神・荒神・天目一箇命・酒解神・櫛御気野命・菊理媛命・大山咋神・火之加具土神・佐軍神一座・田心姫命・奧津彦命・奧津姫命・蛭児命・大物主神・倉稲魂命
本地
三崎明神十一面観音
春日明神地蔵菩薩

大悲山僧義道「桑府名勝志」巻之二[LINK]

桑名神社

二社 三崎大明神・春日大明神 六座 延喜式内
本社東向 幣殿 拝殿 鐘楼 手水所 絵馬堂 宝蔵 楼門 鳥居
母山社 本社の後在東向 鳥居 御神池
山神社 本社の左在東向 祭神二座(大山祇命・木花開耶姫) 石鳥居(延宝六年九月建)
末社 北側南向 多度 神明 熊野 若宮 八幡 酒神
同 西側東向 荒神 白山 愛宕 獅子殿 住吉
宝興山記云、三崎明神は益田の地祖神(久波奈の神社なり)、人皇(十二代)景行天皇の御宇に出現し玉ふと申伝て、天武帝御即位の後御願に依て造営ありと云。 又聖武帝勅して天下の大社に神宮寺を立玉ふ時、行基菩薩当社に神宮寺を建立せりと云。 来由如此と雖も盛衰計りがたし。 永仁年中当所の三主(贄氏・星野氏・味岡氏)勧請の記あり。 奈良より天児屋根命・姫大神を勧請して春日と崇む。 是より前(正応年中)鹿島より武甕槌命を勧請して三崎の神殿に置奉、経津主命は神護景雲元年に下総国香取の神宮より勧請せりと云。 氏人此時より(永仁年中)宮造りを分ちて三崎明神・春日明神と仰き尊崇し奉る。

神宮寺

春日社内北側、南向にあり。 順礼一番札所。 本尊観音・地蔵。
[中略]
浄土寺記云、仏眼院観音の像、伝教大師の作、此は三崎の御本地。 地蔵尊も同く伝教大師の作と、これ春日の御本地となり。
○三崎明神本地身の事、 一或人当寺地蔵尊霊験の事不審を立て曰、地蔵尊出現の昔の御告の如きは、三崎の神明は、我応類身にして我又此地に随縁せりと告玉ひければ、三崎明神の御本地身は地蔵尊とみへたり。 又天武の昔、御潜幸の時の御告の如きは我は十一面観音の垂跡との玉ひ。 依て仏眼院に三崎明神の本地として観音を安し、春日の本地として地蔵を安置す、諸人共に知れり、此寺の趣信用し難しといふ。 冥慮計り難しと雖もしばらく覚さん為に答て曰、惣して仏神の応化は諸人の機の前に変して一概をもて側りかたし、一切衆生の機縁万差なれば、仏神の応現も又無量なり、然るに人情を局執せんや。 しはらくこれを会通せば、地蔵観音同体にして異名の相異のみ。 延命地蔵経に曰、心明円故名如意輪心無罣礙故名観自在心無生滅故名延命心無催破故名地蔵と、然れはこの経文より地蔵即観音の証なり。

荒井勘之丞「勢国見聞集」巻四(神社之部 上)

桑名神社[LINK]

桑名神社 二座式内 桑名市中よりつゞき東北の方三崎なり
 祭神大櫛命 天津彦根命 俗に三崎大明神と云
人皇十二代景行天皇の御宇、白鳳年中にはじめて、増田の庄三崎大明神と崇定給ふ。 其後人皇四十代の帝天武天皇未だ清見原の皇子と申し奉るとき、大伴の皇子におそはれさせ給ひ、皇后を伴ひ吉野山を経て此所に潜幸なりて仏神に祈らせ給ひし時、端厳美麗の化女忽然と来て曰、皇子暫此所を忍び退き、時のいたるを待たまへ、御道しるべ奉るべし。我は婆謁羅竜王の乙女妙吉祥女なり、往古より此所の地主なり。本地は十一面観音にて、垂跡は三種の神器なる故、三の松原に表相を現じ、三崎大明神と申すなり、といひもあゑず、虚空を飛行して見へず。 皇子尊く頼母敷思召、近臣宰相春光を召て、朕如是不思議の瑞現ある上は神の告に任すべしと勅定ありしかば、春光頓て三崎の大藤内といふ船頭をかたらひ、船よそほひして、皇后を残し置給ひて、尾州熱田へ渡御なり。 是程の渡海も今を初の事なれば、着岸を待ち侘させたまひ、まとふの渡りかなと宣しより此かた、此所を間遠の渡りと申すなり。 其後不破の関におもむき、大伴の皇子と戦い打勝給ひ、位に即せ給ふ。 天皇行宮の旧跡は桑名より二十町斗西南の方矢田村にあり。

中臣神社 式内 桑名市中
 祭神 天児屋根命 俗に春日大明神と称す
毎年七月十七日祭礼あり。 俗にひやらりと云。 又八月十八日祭礼あり、前十七日を試楽と云。 いづれの頃よりの社領高百石公方より寄附せられしかば、領主の尊敬他に異なるが故に社地も善を尽し社務、社僧に到る迄神徳を蒙る者多し。 抑当社は人皇九十一代伏見院の御宇正応年中八月十八日奇瑞に現の事どもあり、常陸の国の鹿嶋より此所に飛来給ふと云々。 其時の神詠とて、
 鹿嶋より小鹿に乗て海原や此桑原に跡をとどむる

「伊勢参宮名所図会」巻之三

桑名神社

式内なり。 祭所大櫛命云々。 俗に三崎明神というこれなり。 桑名市中より継き東北の方にあり。 ○社伝に曰く、景行天皇の御宇鎮座、 天武天皇、大友の皇子をさけて、皇后もろとも吉野よりこの地に潜幸ましまして東国へ入り給はんとす。 これによって仏神を祈らせ給ひ、この地に皇后をとどめ、船にて尾張・美濃に入り、官軍をかたらひ給ふ。 その時の示現に神顕れて曰く、我は往古よりこの地の地主にして、娑羯羅龍王の娘吉祥といふ。 本地は十一面観音、垂跡は三種の神宝なり。 故にそれを表し三崎明神と申すなりとて、虚空に飛び去り失せぬ。 それより尾張熱田へ渡海し、不破関の合戦に打ち勝ち、大友皇子を亡ぼし天位を継ぎ給へり云々。 ○縁起の文詳かならず。さるべき事ともおもはれず

中臣神社

桑名の市に有り
式内なり。 春日大明神ともいふ。 世俗には伏見院正応年中八月十八日、奇瑞示現ありて鹿島より移り給ふ云々