米ノ庄神社 三重県松阪市市場庄町 旧・村社
現在の祭神 米ノ庄大御神・伊弉諾尊
[合祀] 須佐之男命・五男三女神・速玉男神・大山祇命・市寸嶋姫命・菅原道真・宇迦之御魂命・大国主命・経津主命・祭神不詳
本地 阿弥陀如来

「勢州一志郡明浦三熊野略考記」

抑三熊野三所権現鎮座の古を尋るに、当社と紀ノ室と何れか先、いづれか後といふ事をしらず。 年代深遠なり。 天平の頃聖武帝遷行ありし時は神霊の高蹤履暦益々昭然たり。 其熊野は昔し由謂しき大社に而ありけむ。 此宮居に三十六員の神主もありしと伝ふ。 聖徳太子護法山神楽寺を建て、舞楽を奏し、三山の祭供を司らしむ。 元正帝此浦に勅して明浦と号しぬ。 これ神徳の明なるを以てなり。 聖武帝天平十二年藤原の広嗣西海に叛す。 東人を西征将軍に任し、数万の官軍を発してこれを誅せしむ。 主上は此時当国川口関宮行在所并に明浦三熊野の邑、狭残の行宮に御して三所権現へ幣帛をささげ、妹に恋の御歌ありて西賊退治の事を祈請ありしに、霊鈴響の如くにして不日にして西国庭を掃て清むと捷書を馳て奏聞す。 乃ち御軍をうこかして南都に還行あり。 明年奉幣使を勅して三山熊野神社を再新し、神楽寺を修造して権現坊護国院と改めしむ。
[中略]
本宮本社は国常立尊にして、本地は安養教主阿弥陀如来なり。 此尊は日本開闢の神にして、人倫万物陰陽の如なり。 天地のあいた山河草木に至るまで此神の乗りうつりましまさぬ無といふ事なり。 是神道の根元にして源起意ある事なり。 阿弥陀は無量寿なれ。 是則ち国常立の本形にあらすや。 新宮本社は速玉男命本地瑠璃光教主薬師如来也。 此仏大誓ありて一度御名を称し値遇し奉れは現世の流病を除くのみならす三毒の重き病までも滅除して身心快楽せしめ給ふ。 那智の本宮は結の宮と号し、伊弉冊尊なり。 事解男命相殿なり。 本地は千手千眼観世音菩薩は娑婆有縁の大士にして三十三身を現し十方世界視し玉はずといふ事なし。 神と現はれ仏と現して大悲度生和光同塵して形顕相隨分水波隔なし。

荒井勘之丞「勢国見聞集」巻四(神社之部 上)

熊野権現御旅所[LINK]

熊野権現御旅所 市場之庄村
 別当神楽坊 今は禅宗神楽寺と云。
本地仏阿弥陀如来は親鸞聖人御真筆を安置す。 此地に浜木綿あり、権現の御託宣に浜木綿のあれば我ある跡と思ふべしと。 又同郡小津村に浜の宮と云社あり、熊野に似たり。

「一志郡史」下巻

神楽寺[LINK]

神楽寺 米ノ庄村市場荘字南邑573
 神楽寺は護法山と号し曹洞宗(永平寺)に属し本尊釈迦如来坐像(二尺五寸)を安置する。 開山越中新川郡布目村大安寺五世聖山巖祝慶長十六年三月十五日草創す。 本寺は当村熊野権現社の別当寺にして舞楽を奏し祭供を司つた道場にして権現坊護国院と称し来りしを慶長頃曹洞宗に改め寺号を神楽寺と称す。
[中略]
絹本着色阿弥陀如来立像
 室町末期竪二尺九寸横一尺二寸
 裏書 親鸞上人真筆重宝于本山従古来所秘
 三所権現本地仏阿弥陀如来安永七戊戌年春三月表装 護法山神楽禅寺常住物大龍代
明治41年、熊野神社に旧・米ノ庄村内の各神社を合祀して米ノ庄神社と改称