| 安弘見神社 | 岐阜県中津川市蛭川 | 旧・村社 |
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| 現在の祭神 | 建速須佐之男命 [配祀] 志那津彦命・志那津姫命・宇迦之御魂神 |
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| 本地 | 薬師如来 |
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現在の安弘見神社は、明治維新前まで牛頭天王社、一般には天王様の名で呼ばれていた。 安弘見神社と改号されたのは、明治二年(1869)神仏分離令によって、この附近の郷名"安弘見"をとって付したものである。
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牛頭天王は印度の祇園精舎の守護天で、仏教では薬師如来の化身ともいい、あるいは素戔鳴命に垂迹したものという。
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現在の境内御手洗から少し登った右方に、わずかな平地がみられるが、ここに瑠璃光堂があり薬師如来がまつってあった。 これは廃仏のとき完全に棄却されてしまい、その建立の時代など知る手がかりはまったくない。 ただ御本尊の薬師如来像はひそかに隠されて、磯部(美郎)家に残り、今は念仏堂に保管されている。 現在の杵振踊や獅子舞はその薬師堂の祭りに、執行されたものと伝えられている。
蛭川村は木曾川中流の恵那峡の北岸にあって周囲を岩山・笠置山・若山などに囲まれており、当社は村のほぼ中央の小高い丘の上に鎮座する。 祭神は素戔嗚命。 旧村社。
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当社は明治維新までは「牛頭天王社」と称していたが、神仏分離に際し、明治二年に地元の郷名をとって現社名に改称した。 創建は不明であるが、最古の棟札には慶長十九年(1614)の記載がある。 『木曾古道記』は当社について「蛭川村、牛頭天王云、宮殿末社数多の大社也と、禰宜屋・祝部屋・上の坊・下の坊・古跡有り」と記している。 禰宜屋をはじめ四つの屋号はいずれも当社とかかわりがあるようである。 近世に当地を支配していた苗木藩は明治新政府が成立すると藩政改革に着手、その一環として徹底的な廃仏毀釈をおし進めた結果、仏教関係の施設・文化財はことごとく破壊・焼却され、村内の寺院は皆無となった。 当社もこの動きのなかで社名を変更するとともに、境内の右手にあった瑠璃光堂(薬師堂)を廃棄した。
例祭は四月十六日に行われ「杵振踊」の奉納がある。 神仏分離以前は六月十五日を牛頭天王社の祭日として花馬を引き、八月十五日を薬師堂の祭日として獅子舞を奉納し、杵振踊はその獅子舞に付随したものにすぎなかった。 薬師堂の廃棄は祭の執行に混乱をきたしたが、結局、花馬も獅子舞も安弘見神社の祭礼と決まり、明治四十三年には年二回の祭が統一され、期日も現在のものに改められた。