現在の祭神 |
天御中主尊 [配祀] 建御名方神・日本武尊 |
「新編武蔵風土記稿」巻之二百四十七
(秩父郡之二)
中沢組(南村内)
妙見社
神体銅像長五寸、左に毘沙門天、右に諏訪明神の木立像を安ず、
阪石村・本村及び中沢の内小名三社の鎮守なり、
例祭六月十五日
慶安年中三石五斗の社領を附せらる、
神職朝日播磨吉田家の配下なり、
縁起の略に曰、武州秩父郡我野郷三社大明神は、妙見大菩薩なり、
左脇日本武尊本地毘沙門天也、右脇者猟師宮本地諏訪大明神也、
仲哀天皇丙子年十一月三日、三神相共現于茲云々、
[中略]
天満宮 弁財天 以上合社 愛宕社 薬師十二神 子安明神 以上合社
「埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父」
我野神社
飯能市南1152(南字三社)
歴史
社の創建は、社伝に「景行天皇四十年日本武尊御東征の砌り、当地に遠祖神を勧請せられ、次いで同五十六年十一月御諸別王が平安を祈り日本武尊・建御名方神を合祀して三社と号す」とあり、また『風土記稿』には「仲哀天皇五年に三神相共に現れ、云々」とある。
[中略]
社伝に「天正年中迄、三社大明神と唱え、其後妙見社と唱え来る」とある。
秩父地方の妙見信仰は、秩父神社を中心として盛んで、俗に妙見七社といわれるが、当社はこの七社には含まれていない。
[中略]
『風土記稿』に「武州秩父郡我野郷三社大明神は、妙見大菩薩なり、左脇日本武尊本地毘沙門天也、右脇者猟師宮本地諏訪大明神也」とあるが、社伝にいう「遠祖神を祀る」が古いと考えられる。
遠祖神の何神であるかは不明であるが、古くから祭神のうちに建御名方神の名があり、歴史の項で触れたが、天正期以後妙見社と称していても、秩父妙見との関連も考えられず、古い祭神は諏訪の神かと思われる。
現在内陣には、甲冑に身を包み剣をひっさげ白蛇を腰に巻き、亀を足下に踏まえ七星を光背とした、15センチメートルの銅製妙見神像が奉安されている。
口碑にこれは後世のもので、60センチメートルの単頭石棒が本来の依代と伝えられる。