赤淵神社 |
兵庫県朝来市和田山町枚田上山 |
式内社(但馬国朝来郡 赤淵神社) 旧・県社 |
佐藤圭「中世武士選書23 朝倉孝景—戦国大名朝倉氏の礎を築いた猛将—」
但馬時代の朝倉氏と八木氏
赤淵大明神は、但馬国朝来郡にある式内社赤淵神社を本社とする日下部氏の氏神で、表米宮を救ったというあわび貝を御神体として祀ったものである。
表米宮は孝徳天皇から異国の鬼神退治の大将を命じられ、船団を率いて出陣したが、逆風と嵐に襲われて船がバラバラになったところを、あわびが鎹となって船を守護し、無事悪鬼を平らげることができたという。
越前朝倉氏の最後の当主朝倉義景は、朝倉孝景が創建した朝倉氏の氏寺心月寺の七世住持才応総芸に命じて、『赤淵大明神縁起』を作らせて表米宮の伝説を詳しく記し、永禄四年(一五六一)、それを正親町天皇に奏覧して宸筆外題を賜わった(『お湯殿の上の日記』)。
その居城の一乗谷には、いつのころかこの赤淵大明神が勧請され、社地は赤淵山と呼ばれ、また その麓の平地の字も赤淵という。
正確な記録が残っている例としては、大永三年(一五二三)十一月、 四代孝景は館の艮に建立した一寺の鎮守として、赤淵大明神を勧請している(『赤淵大明神遷宮次第』)。
彼の館の位置が、現在の朝倉義景館跡附近に立地していたとすると、おそらく四代孝景は、館の北東に位置する南陽寺の鎮守を勧請したものと考えられる。
京都の神道長上卜部(吉田)兼満は同十五日、四代孝景の書状に応えて、赤淵大明神の遷宮次第と吉日を注進している。
また、後に兼満の養子吉田兼右が同じく四代孝景に伝授した『宗源宣旨秘要』によれば、赤淵大明神の本地仏は阿弥陀如来、観音・勢至両菩薩の三尊とされる。