赤城神社 東京都新宿区赤城元町 旧・郷社
現在の祭神 石筒男命・赤城姫命
本地 勝軍地蔵 延命地蔵

「江戸名所図会」巻之四(天権之部)

赤城明神社

同所(正蔵院)北の裏通りにあり。 牛込の鎮守にして、別当は天台宗東覚寺と号す。 祭神上野国赤城山と同じ神にして、 本地仏は勝軍地蔵尊という。 往古、大胡氏深くこの御神を崇敬し、 始めは領地に勧請して近戸明神と称す。

「御府内備考続編」巻之二十一

赤城大明神社(牛込赤城)

当社之祭神者上野国赤城明神同体也、 正安二年武州荏原郡田嶋に一夜之内椚大木生而此影降給所座百六拾余年を経、 寛正元年太田道灌田嶋より当所え引移勧請し給ふ、 今之社地是也、
○本社(内々陣奥行三尺、横二間半)
  幣殿(奥行四間、横二間半) 拝殿(奥行三間、横六間半)
  内陣(奥行九尺、横二間半)
  本地仏延命地蔵尊(木立像、丈一尺余、慈覚大師作)
  開帳仏将軍地蔵(甲冑馬上、丈三寸程)
  相殿山王大権現七社画像(筆者不知)
  飯縄大権現木像(丈五寸、智証大師作、延宝三乙卯二月信州飯縄山より飛来と云)
  不動尊(幣殿内護摩堂に安置)
[中略]
○当社祭礼者、九月十九日隔年之渡祭礼也、 毎年同月同日庭祭礼、寅刻別当衆僧上宮本也、 供修乃衆僧助咒勤之、畢て法花三昧修行、 午刻大般若経転読、申刻常行三昧修行、 神楽殿にて二拾五坐執行並湯花上る、 雇社人三戸右膳勤之、神輿二社四神等飾置之、
毎年正月元日より七日迄諸事五節句之通、
[中略]
○本地堂(九尺四方) 本尊延命地蔵菩薩(木立像、丈台共八尺)
  同唐銅尊(立像、丈台共四尺) 弁財天 附十五童子(伝教大師作)
○末社
 ○稲荷社(間口一間五寸、奥行八尺五寸) 拝殿(奥行一丈、横八尺)
   祭神吒枳尼天(木座像、弘法大師作)
   相殿大黒天(木像、同作)
[中略]
○牛込赤城大明神縁起
武蔵国荏原郡牛込郷鎮守赤城大明神起立し鎮坐し給ふ元由を窺尋るに、 後伏見院正安年中頃郷内に窪く低たる数百間の田頭あり、 其中に古より町余計の小嶋相見ゆ、 木たち茂く枝をつらね左右前後水田漠々たり、 其すゑ渺々として嶋のまわりに自然の流をたゝゑり、 是を誰といふとなく田嶋といゑり、 遠く西北を見あくれば小高き柴山、 東南又田園多く其間に高く聳へたる山あり、 此所を堀のかいと明神原と云といひ来れり、 或時田嶋へいつくともなくよなよな光さし入りあかくかかやくこと幾夜となく、 是のみならす椚の大木一本いつとなく現し林に秀する程、 その上嶋より白水湧出て廻りの流れにさしうつろひ宛も白き河に異ならす、 人民見るにうとく殆人のなすところにあらす、 天仙地祇も住給ふへき勝地なりと奇異の思ひをなし、 神の物おしへにもあるらむと、 幸九月中の九日をむかへ神楽を奏し湯のはなを捧るに、 遠きも近きも詣をなし袖をつらね群をなす。 時に託宣に曰、 我上野国の鎮守赤城明神也。 此所守護の飛来神木を現し社とすと云々、 諸人耳目を驚く、 国は神のおこし生は神の度し給ふなれは、 誠に浪言し給ふはさる事と感し、 田嶋にあらたに社をしつらひ奉幣粢盛の祭常盤堅盤の礼奠懈る事なく、 本地を尋るに、地蔵菩薩の応現にして大悲の応用を以て神冥の垂跡とし、 証得の内証より無窮の智力をあらはし、 本迹和合して六道の愚迷をたすけ貴賎群類の氏子を照し給ふ、
[中略]
○別当赤耀山円明院等覚寺(境内弐百五拾坪) 天台宗東叡山末