愛宕社 村の鎮守なり、 本地仏勝軍地蔵を安ず、 末社 天王 別当勝軍寺 新義真言宗、長野村長久寺門徒、愛宕山地蔵院と号す
歴史 当社の別当は、境内地にあった真言宗愛宕山勝軍寺が務めていた。 慶応四年三月八日、当社本地仏勝軍地蔵は松平家の武運長久を祈ったものとして官軍によって焼かれたとの口碑がある。