愛宕神社 | 埼玉県鴻巣市下忍 |
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現在の祭神 | 軻遇突智神 |
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本地 | 勝軍地蔵 |
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歴史
古墳後期に築かれた「愛宕山古墳」の頂に鎮まる当社は、江戸期には隣接する真言宗千手院が別当として祭祀を司つていた。
千手院は慶長十三年(1608)に島崎図書の開創で、同十八年(1613)に図書の嫡男・法印永慶が開山となっている。 また、元禄十年(1697)六月に島崎新五右衛門が資金を出し法印学応が斡旋して堂宇を改築したことから、この学応を中興としている。
[中略]
当社は神仏分離により明治三年に別当千手院から離れ、本殿に納められていた本地仏の勝軍地蔵像は廃仏毀釈を避けて千手院に移したと伝えられている。信仰
二十四日の本祭りは、早朝から氏子の家々で餅を搗いて重ね餅をこしらえ、銘々で神前に供えに来るのが例であったが、昭和十年代に途絶えた。 現在は、午前十時に宮司の奉仕で祭典があり、同時刻に千手院の山門入口にある勝軍地蔵堂(当社の旧本地仏を祀る)でも住職が護摩を焚いて祈祷を行っている。