近殿神社 埼玉県熊谷市下増田 旧・村社
現在の祭神 稲田姫命
[合祀] 須佐之男命・菅原道真・豊宇気比売命・別雷命
本地 十一面観音

「新編武蔵風土記稿」巻之二百二十八
(幡羅郡之三)

下増田村

近殿明神社

村の鎮守なり、 本地十一面観音を安ず、 観音寺持、下同じ、
末社 稲荷 神明 牛頭天王 雷電 四社共に元禄四年勧請といふ

「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」

近殿神社

  熊谷市下増田449(下増田字近殿)

歴史

 当社の創建については、「昔、この村は土地が低かったためしばしば水害を被り、作物が出来なかったが、ある年村人が協議し、堤防を築いたところ五穀が大いに実るようになった。そこで、このことを感謝して社を設けて稲の神である稲田姫命を祀り、村の鎮守として崇めるようになった。これが『ちかつさま』のはじまりである」と伝えられている。 また、当社の社名の由来については一説に本村(西別府)の湯殿神社の近くにあるため近殿神社と称するようになったというが、定かではない。
 一方、『風土記稿』下増田村の項にも知るされているように、当社は江戸時代には真言宗の観音寺の管理下にあり、十一面観音の像を本地仏として本殿に安置していた。 この像は、神仏分離後は観音寺に移され、今も同寺で大切に祀られており、その銘に「元禄七甲戌星(1694)九月村中氏子修造」とあるところから、当社がこの地に祀られるようになったのは分村以前のことと推測される。