都久夫須麻神社 |
滋賀県長浜市早崎町 |
式内社(近江国浅井郡 都久夫須麻神社) 旧・県社 |
「源平盛衰記」巻第二十八
竹生島詣并仙童琵琶事
或経云、南閻浮提の中に湖海あり、海の中に水晶輪山有り、即天女の所住也と説るゝは此島の事也。
金輪際より出生せる故に、劫火の焚焼にも壊乱せず、近くは慈尊の出世を待、遠くは三世に動転なしとかや。
天女と申は即大弁才功徳天女是也。此往古の如来法身の大士也。紫磨の姿を隠して和光の道に出給。
仮に端厳の女身を荘て、能美妙の音楽を調ぶ。
左の掌を舒ては三昧の琵琶を懐き、右の手を動しては四絃の呂律を調ぶ。
故に此天をば美音天女とも名、妙音楽天とも申す也。
降魔の大将としては、居を西北に卜、弓箭の棟梁としては威を東南に振ひ給へり。
衆生利益のためにとや、此島に跡を垂る。
「竹生嶋縁起」
夫当寺者。人皇第七代大日本根子彦太瓊尊[号孝霊天皇、]御宇二十五年乙未。湖水湛而此島顕出也。
此御宇。霜速彦命生三児。気吹御命。坂田姫命。浅井姫命。天降坐豊葦原水穂国。箇中気吹御命。坂田姫命。下座淡海国坂田郡之東方。浅井姫命下座浅井郡之北辺。爰浅井姫命与気吹御命競勢争力。更去北辺下座海中。其下海音云都布都布。故云都布失嶋。即件神凝水沫而為盤。積風塵而化嶋。又召諸魚令持重石。字今云魚崎。魚集之処也。
又召諸鳥令落殖草木種。今猶衆鳥来集之峯也。
巌長成林時。先其最初竹篠出生。故云竹生嶋。
一伝云。行基菩薩当嶋経行之時。明神垂霊応示地分云。此嶋自金輪際出生。金剛宝座石也云々。則行基其携持竹杖立地。
誓云。若此地為三宝住持之地物。此竹則可生長。顧時滋茂如出生竹。故号竹生嶋云々。
古老口伝云。此嶋出花厳経説。故自金輪際出生。金剛宝石者自神代在之。浅井姫下坐此宝石上。後召諸魚。此石周囲畳重石隠宝石也。
仍両説無相違。浅井姫命(今号地主)者釈迦如来化現也。
故下坐在世説法之金剛座也。
[中略]
大弁才天奇瑞不可勝計。
今是大神者。弁才天女釈迦如来応跡。為三界於我有撫四生於一子。七所神子者。
十五童子中司陰陽。二神中主陽主天神子顕現嶋上。主陰主地八神子居在海中。凡十五童子顕神体垂跡処。
一記云。
第一麝香童子。三輪。
第二赤青童子。熱田。
第三香精童子。諏方。
第四召請童子。春日。
第五大神童子。丹生。
第六悪女童子。白山。
第七除悪童子。飛龍。
第八質月童子。若一王子。
第九慈満童子。西宮夷。
第十密迹童子。稲荷。
第十一施願童子。賀茂。
第十二虚空童子。羽黒。
第十三施無畏童子。鹿嶋。
第十四随念童子。八幡大菩薩。
第十五光明童子。松尾。
凡三億六万眷属。八万四千諸護法。充満国中顕諸神冥。
「近江国輿地志略」巻之八十七
(浅井郡第四)
〇竹生島神社
竹生島にあり。
祭所宇賀御魂神なり。
社五間四面。
辰巳向なり。
【改暦雑事】曰、聖武天皇天平三年竹生島神顕現云云、社領三百石。
竹生島縁起略曰、人皇三十代欽明天皇六年乙丑四年初の巳の日に、弁財天大内に示現して曰、我は竹生島の弁財天天照大神の分魂なり。
天にあつては日の御魂、地にあつては富宝の御魂、此国にあつては五樁の御魂なり。
妙弁財天女と名つく。
巳の月の初の巳の日には地に下て人間の福を行ひ、亥の月の初の亥には天に上て天人をやしなふ。
其巳の日には我をむかへて祭り、其亥の日には我を祭て餞したまへ。
天皇は我皇胤なり。
我五樁に鎮座して長く宝祚を守らんと。
天皇大ひに悦び玉ひて、五樁の島に各宮社を営、弁財天女を祭り給ふ。
四十五代聖武天皇天平三年に、天女また大内に現して、此島の霊異并に御本地の徳を示したまへば、天皇悦びたまひて、行基菩薩と共に竹生島に幸ましまして、天女の宝殿並忍穂耳尊と、大己貴尊の三社を営たまひ。
又天女の御本地弥陀観音の尊容を鋳て、ふかく御正体の箱に秘して、宝殿に安鎮しまたふと云云。
大神宮寺
〇大神宮寺
竹生島にあり。
竹生島神社の別当社僧なり。
何れの日の神主といへる事をとり失ひ、今多は社僧となれり。
其寺を神宮寺と号す。
縁起略に曰、四十五代聖武天皇天平三年に天女又大内に現して、此島の霊異并に御本地の徳を示したまへば、天皇悦びたまひて、行基菩薩と共に竹生島に幸ましまして、天女の宝殿并に忍穂耳尊大己貴尊の三社を営たまひ、又天女の御本地阿弥陀観音の尊容を黄金に鋳て、ふかく御正体の箱に秘して、宝殿に安鎮しまたふ。
行基菩薩は手づから千手観音の大像を刻て、大神宮寺を建立し給ふ。