千栗八幡宮 佐賀県三養基郡みやき町白壁 八幡五所別宮
肥前国一宮
旧・国幣小社
現在の祭神 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
[配祀] 難波皇子・住吉明神・宇治皇子・武内宿禰
本地 弥勒菩薩

「肥前古跡縁起」

千栗山

千栗山弥勒寺妙覚院、八幡宮、本地は弥勒菩薩、 神亀元甲子年聖武天皇の勅願、養父郡司壬父の春成の建立也、 或時春成此山に出狩し給ひけるに、何く共なく白鳩三つ飛来り春成の前につく、 其時春成弓取直し給ふに鳩一つ飛び上り、弓のうわすに付て更に怖る気色もなし、 春成奇異の思をなし、暫く軒るをほり居給ひし所、 一人の老翁忽然と現れ、円鉢に栗を入れ、彼春成の前に来て曰、 君此山に入り給ひ白鳩御弓に付く事誠に不思議の瑞験也、 此処は昔神功皇后蒙古退治の御時御陣在りし所也、 其因縁有て八幡の御神霊此時に現れ給はんとて斯る不思議こそ侍れ、 是即ち天下泰平の御悦目出度し珍重かなと云ひ、かき消すように打失ぬ、 春成奇特の思をなし感涙肝に銘じ、翁の跡を伏拝し、賜はりし栗を戴き、自ら下知し当りの山を掘らせ此栗を植給はゞ、一夜の内に栗木千本生え出て、三尺計りに栄ふ、 此木の瑞相に依て千栗の里と号す、 感応無双の御栗なれば尋常には替るべしとて、此栗をばさかさまいけ給ひしと也、 其故に栗千と云ふべきをさかさまに云ふとかや、 春成急ぎ都に上り八幡の御霊験一々奏聞す、 聖武天皇御感坐て、即勅願霊場の宣旨を下さる、 春成綸旨を戴き国に下り、彼の鳩の付ける所を八幡の御宝殿と定め、 東西の廻廊より本地弥勒の金堂一切経蔵法華経三昧の道場、山王の社、三重宝塔六十六部の巡礼の経塚、薬師道場、賀茂の宮、和泉寺を始め、 数の堂場いらかを双べ、荘厳を尽し造立し給

「中世諸国一宮制の基礎的研究」

肥前国

Ⅰ-2 一宮

1 千栗八幡宮。
4 神亀~天平宝字年間に郡司壬生春成(三根郡司・養父郡司の両説あり)が夢告によって祀り(神亀元年<724>、天平年中<729~49>、天平宝字年中<757~65>の3説ある)、承平年中(931~38)八幡五所別宮になったという(太宰管内志・鎮西要略・肥前古跡記・千栗社記・二十二社注式・藤崎宮縁起など)。
5 創建当初は三根郡の国造を祖神としたと思われるが、筑後川沿いの立地と粥占の神事から農業神的性格も窺える。 祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。 本地は弥勒菩薩。
6 本寺は宇佐弥勒寺。 別当寺は弥勒寺。 座主院は妙覚院。