大神山神社・奥宮 鳥取県米子市尾高(里宮)
鳥取県西伯郡大山町大山(奥宮)
式内社(伯耆国会見郡 大神山神社)
伯耆国二宮
旧・国幣小社
現在の祭神
里宮大穴牟遅神
奥宮大己貴命
[配祀] 大山津見命・須佐之男命・少名毘古那命
奥宮末社・下山神社渡辺照政
本地
大智明権現地蔵菩薩
霊像権現観世音菩薩
利寿権現文殊菩薩
山王権現釈迦如来
熊野権現阿弥陀如来
白山権現十一面観音
金剛童子薬師如来
護法天童普賢菩薩
山ノ神不動明王
法眼神不動明王
下山明神観世音菩薩

西行「撰集抄」巻七

大智明神之御事

伯耆国に大山といふ所に、大智の明神と申す神おはします。 利益のあらたかなる事、実に朝の日の山に出づるがごとくに侍り。 御本地は地蔵菩薩にておはしますとぞ。 むかし俊方といふける弓取、野に出て鹿を狩けるほどに、例よりも鹿おほくて、皆思ひの外に射とゞめにけり。 扨此鹿どもを取らんとすれば、我持仏堂に千体の地蔵を、すへたてまつりける五寸の尊像に矢を射立て、鹿と見つるは地蔵にぞおはしける。 其時俊方あさましくかなしく覚へて、地蔵に取つき奉りてなきおめきけれども、さらにかひなし。 やがて手づからもとどりを切て、我家を堂につくて、永く殺生を留まり侍りにき。 去程に称徳天皇の御時、社にいはひ奉れといふ侘宣侍て、やがて堂をやしろになして、大智明神とぞ申侍る。

「大山寺縁起」

我が朝に地蔵菩薩の化導を顕し給ふそのおこりを尋ぬれば、昔伊弉諾・伊弉冊の御代に天地はじまりき。 昔日兜率天の第三院巽の角より化して一の磐石おちたり。 彼の石三にわれて、一は熊野山に留まり、二は金峰山と顕じ、三は此の大山と成りにけり。 此の故に、此の山を角磐山と名けて、日本第三の名嶇とは申すなり。 都率天の聖衆金剛手・金剛光二菩薩あまくだりて、密勝仙人・仏覚仙人と示して三千七百歳行ひ澄まし給ひける。 禅頂に五の池出でにけり。 其の中の池の底より多宝の塔婆わき出でて、釈迦・多宝の二仏光明赫奕として荘厳珠勝なりけるが、夢のごとくして彼の塔婆池の中にかくれ給ひぬ。 仙人則ち池の底へ入りて宝塔を拝見するに、塔婆の中に八葉の蓮台現ず。 台の上にमं{maṃ}字あり、則ち変じて文殊師利と顕れ、次にस{sa}字有り、化して観世音と成り給ふ。 又金色のअ{a}字有り、現じて地蔵菩薩の姿を顕じ給ひし時、文殊は西に退き、観音は東に去り、地蔵尊は中に座し給ひぬ。 是を号して三所権現と申すなり。

「伯耆民談記」巻之六

大山

 角磐山大山寺と号す。 称徳天皇の勅願にして智積の開基なり。 本尊は地蔵大智明権現にて、天台神道両部の山。 本寺は武都の東叡山なり。 往古より山領天下の寄附にて、守護不入の地なり。 山は日本四つの名嶺にして、中国の富士と謂つべく、好風妙にして、高根は雲に入り、麓は霞に浮ふ。 裾野は遥に周り環りて、伯備作の三国に跨がり、久夏の天と雖も白雪を頂けり。 四十余町麓に権現の本社あり。 本坊を西楽院と云ふ。 都べて院宇四十二坊を三つに賦して、南光、西明、中門の三院を以て是を総べ、各隣々として甍を並べ、旦暮の法務止むことなく、晨鐘夕梵の響絶ゆることなし。 年毎に三度の会式あり。 四月二十四日は神幸の神事にて、輿帳を開き、神躰を顕すこと、持統天皇の御宇よりの例と云へり。 中の会六月十五日は、院僧二人殊に結戒して山上に登り、嶺の池水を汲む。 是智積仙人の伝法なりと云へり。 山上の沙汰深密にして、他人更に知る事なし。 秋会は読経のみなり。 三会共に近遠の四民群集をなす事夥しく、諸国の伯楽共多く集り、牛馬を転して売買をなす。 中にも初の会には大に群集するなり。
 山号を角磐山と称することは、天神七代伊弉諾伊弉冊尊の御宇、天より一つの磐石、此山の巽の隅に落下る。 其石三つに砕けて、一つは当山に止り、二つは吉野、葛城の山に飛ふ、此故を以て角磐山と号するとかや。
 本社拝殿、長さ十八間、雲州の尼子晴久造営なり。 内陣の間十二間あり。 拝殿に続きて二王堂あり。 此尊容は後醍醐天皇の寄進なり。
 下山大明神は本社の左にあり。 当社は作州の住人下山源五郎を祭ると云ふなり。 元享の頃、源五郎此山に於て、鈴木何某と戦ひ、死しけるか、其霊魂祟をなすによりて神に祝ふ。 去るにより鈴木氏の人は登山すること叶はず、強いて入る時は、必ず災ありと云へり。 一説に、当社は元徳二年備中国浅口郡江原ノ庄の人渡辺日向守輝正の霊を祭るとも云ふなり。
 社前に七十二段の石階あり。 古は常の石なりしか、近き頃、佐田村の源右衛と云ふ者の妻、切石を以て是を寄附す。 又本社への行道には、切明とて、岩山を切り開けて社道とす。 上古当山の社切明大明神の神通の作なりと云伝ふるなり。 左右十丈許の岩嶢にして、誠に切明けたる如く、人力の及ふことに非す。 世に当山の山号を金門山と称するは、此所を指して云ふとかや。

 当山十二神
智明大権現 本地地蔵
霊像権現 本地観世音
利寿権現 本地文殊
山王権現 本地釈迦
熊野権現 本地阿弥陀
白山権現 本地十一面観音
金剛童子 本地薬師
護法天童 本地普賢
山ノ神 本地不動
法眼神 本地不動
下山明神 本地観音
龍王 本地無仏号

「塩尻」巻之七十六

○或問、近世民間六十六部とて回国す、如何なる寺社をか順礼するにや。 予曰、是近き比の野俗なれば、参詣の所もさだまらず、六十六ヶ所の寺社に、一部法花経を奉納し奉る。 其次は宝永四年東武旭誉が板行せし一幅に見へたり。
下野滝尾山(千手)  上野一宮(弥陀)  武蔵六所明神  相州八幡(釈迦)  豆州三島(釈迦)  甲州七覚山(同上)  駿州富士(阿弥陀)  遠州国分寺(釈迦)  三州鳳来寺(薬師)  尾州一宮(大日)  濃州一宮(薬師)  江州多賀(弥陀)  伊勢円寿寺(不動)  勢州朝熊岳(福方)  志州常安寺(正観音)  紀州熊野本宮(弥陀)  泉州松尾寺(千手)  勢州上太手(正観音)  和州長谷寺(十一面)  城州加茂社(正観音)  丹波穴太寺(十一面)  摂州天王寺(正観音)  阿波太亀寺(虚空蔵)  土佐五台寺(同上)  伊予一宮(正観音)  讃州白峯(千手)  淡路千光寺  播州書写山(如意輪)  作州一宮(釈迦)  備州[前カ]吉備津宮(弥陀)  備州[中カ]同上(同上)  浄土寺(正観音)  芸州厳島(弁才天)  防州新寺(正観音)  長州一宮(同上)  筑州宰府天神  筑後高良玉垂(釈迦)  肥州千栗(弥陀)  肥後阿蘇宮(十一面)  薩摩新田(弥陀)  大隅八幡(同上)  日向法花嶽(釈迦)  豊後由原(弥陀)  豊前宇佐(同上)  石見八幡(同上)  雲州大社(釈迦)  伯州大仙寺(地蔵)  隠岐託日(釈迦)  因州一宮(同上)  但州養父(文殊)  丹波成相(千手)  若州一宮(釈迦)  越前平泉寺(釈迦)  加州白山(弥陀)  能登石動山(虚空蔵)  越中立山(弥陀)  飛州国分寺(釈迦)  信州上諏訪(文殊)  越後蔵王権現(釈迦)  佐渡小比叡山(正観音)  出羽湯殿山  奥州塩竈(釈迦)  常州鹿島社(同上)  下総香取社(十一面)  上総一宮  阿波清澄寺(虚空蔵)
右の内にても亦霊なる所を順礼するもあり。 山城にて八幡、清水、大和にて東大寺、興福寺、法隆寺にて納経す、尾州にて熱田国府宮寺定たるもあり、国々にて其志す寺社に納め侍るとぞ。

真鍋広済「地蔵尊の世界」

地蔵本地垂迹考

(2) 大智明神

 伯耆国大神山神社のもとの祭神大智明神は「延喜式」にも見える由緒ある神祇であるが、「今昔物語」には『彼の権現は地蔵菩薩の垂迹大智明菩薩と申す。自然大悲の願力を以て広く一切衆生を化度し給ふ』(巻十七、第十五)と見え、「撰集抄」にも『伯耆国に大山といふ所に大智の明神と申す神おはします。利益のあらたかなる事、実に朝の日の山に出づるがごとくに侍り。御本地は地蔵菩薩にておはしますとぞ。』(巻七、第三)と述べられているように地蔵尊の垂迹として信仰せられていた。