伏見稲荷大社 京都府京都市伏見区深草薮之内町 式内社(山城国紀伊郡 稲荷神社三座〈並名神大 月次新嘗〉)。
二十二社
旧・官幣大社
現在の祭神
伏見稲荷大社[下社] 宇迦之御魂大神
[中社] 佐田彦大神
[上社] 大宮能売大神
[田中社] 田中大神
[四大神社] 四大神
末社・白狐社命婦専女神
本地
下社如意輪観音阿弥陀如来荼吉尼天愛染明王
中社千手観音地蔵菩薩普賢菩薩薬師如来弁才天歓喜天
上社十一面観音千手観音聖観音釈迦如来歓喜天弁才天
田中不動明王
四大神毘沙門天
客神(十禅師)地蔵菩薩
辰狐命婦(阿古町)文殊菩薩
黒烏弥勒菩薩
小薄普賢菩薩

「二十二社并本地」

伊勢(聖観音)。
八幡(釈迦)。
賀茂(御祖社釈迦)。
松尾(釈迦)。
平野(一殿大日。二殿聖観音。三殿地蔵。四殿不動)。
稲荷(下社大宮如意輪。命婦文殊。田中不動。中社千手。上社十一面)
春日(一殿不空羂索観音。二殿薬師。三殿地蔵。四殿十一面)。
中七社。
大原野(同春日)。
大神(大日。聖観音)。
石上(十一面。文殊。不動)。
大和(一宮弥勒。二宮薬師。三宮聖観音)。
広瀬(大宮聖観音)。
龍田(釈迦三尊)。
住吉(一神薬師。二神阿弥陀。三神大日。四神聖観音)。
下八社。
日吉(大宮釈迦。二宮薬師)。
梅宮(一殿如意輪。二殿聖観音。三殿不空羂索。四殿信相)。
吉田(同春日)。
広田(一殿聖観音。二殿阿弥陀。三殿高貴徳王大菩薩。四殿阿弥陀。五殿薬師)。
祇園(天王薬師。波利女十一面。八大王子。八字文殊)。
北野(十一面)。
丹生(薬師)。
貴布禰(不動)。
 已上二十二社。
 前伯三位仰吉田宮神主注之。

「諸社根元記」

稲荷[LINK]

稲荷
下社 大宮姫 命婦 田中社 大己貴命 中社 大宮 倉稲魂 四大神 神功皇后 上社 太田命 客神 十禅師
本地 下大宮 如意輪 命婦 文殊 田中 不動 中大宮 千手 四大神 毘沙門 上宮 十一面 客神 十禅師 地蔵

「稲荷鎮座由来」

弘仁七年夏孟之比。大和尚斗藪之時。於紀州田辺宿。遇異相老翁。 其長八尺許。骨高筋太。内含大権気。外示凡夫相。 見和尚快語曰。吾在神道聖在威徳也。方今菩薩到此所。弟子幸也。 和尚曰。於霊山面拝之時。誓約未忘此主他生。形異心同。 予有秘教紹隆之願。神在仏法擁護之誓。諸共弘法利生。 同遊覚台。夫帝都坤角九條一坊。有一大伽藍。号東寺。 為鎮護国家。可興密教霊場也。必々奉待々々而巳。 化人曰。必参会。守和尚之淘命等云々。
同十四年正月十九日。和尚忝賜東寺。為密教道場也。 因之請来法文曼荼羅道具等。悉納大経蔵畢。
其後同四月十三日。彼紀州之化人来。 臨東寺南門。荷稲提椙葉。率両女二子矣。 和尚歓喜。授与法味。 道俗帰敬。備飯献果。 爾後暫寄宿二階柴守。其間点当寺杣山。定利生勝地。 一七ヶ日夜之間。依淘鎮壇法示荘厳。 額然而円現矣。 為後生記綱目耳。
私云。稲荷五社者。
一大明神。本地十一面(上御前是也)。
二中御前。本地千手(大明神之当御前也)。
三大多羅之女。本地如意輪(下御前是也。大明神之前御前也)。
四四大神。本地毘沙門(中御前御子。即同宿中御前)。
五田中。本地不動(先腹大多羅之女郎子也)。

「神道集」巻第三

稲荷大明神事

そもそも稲荷明神とは、上御前は千手、中御前は地蔵、下御前は如意輪観音なり。
ある人の日記には、下御前は如意輪、中御前は千手、上御前は命婦にして辰狐なり。本地は文殊なり。
そもそもこの辰狐を命婦殿と名づくること、みむるに多くの義有り。 先づその本地垂迹をみるに云ふ。 そもそも辰狐菩薩は、本地は大日如来、三世覚母の大聖文殊、一切衆生の菩提心行願普賢薩埵、仏法護持の多門天王、心王の意識如意輪観音なり。 窺に以れば、偏に閻浮提の衆生を利益せんとして、仮に辰狐王菩薩の化用を現す。 誠い利生無窮の薩埵、広福円満の天等なり。
爰に内証の功、外用の徳有り。 先づ外用の徳とは、一は諸病を除き、二は福徳を得さしめ、三は愛敬を得さしめ、四は主君に重敬せしむ。 五は盛家と成りて、資財具足す。 六は五穀豊饒ならしめ、七は衣装豊かならしむ。 八は牛馬六地畜成就す。 九は所従眷属満足す。 十は端正の子を生み、十一は衆人愛敬の子を生み、十二は利根自在の子を生す。 十三は持念の輩病の家に行向て、忽然として病鬼を退け出す。 十四は持念の輩位共難産の所に行向て、諸魔の縁を払て、安穏に産ましむ。 十五は盗賊の難を除き、十六は本姓の劣なるを捨てて、高位に登る。 十七は軍陣の所に至るに、忽然として怨軍逃げ去る。 十八は呪詛を本人に返す。 十九は一切の霊験自在ならん云々。 この如の十九種の一切の霊験、何れか一切衆生の願にあらざる。
[中略]
次に内証の功とは、かの所住衆生の心精の為に、これ能住穢土の荒野たる。 爰に種子を云へば、如々不可得の阿字、三形を云へば、三々隨類の如意珠なり。 能乗を云へば、金色微妙の天女、所乗を云へば、白色殊勝の辰狐王、能乗所乗定慧一体の法なり。 性徳修徳定慧不二の理なり。 故に法界と衆生とは因果の異名、凡夫と賢聖とは迷悟の差別なり。 ただ金剛の実智を顕すが故に文殊なり。 胎蔵の真理を示す故に辰狐王菩薩なり。 白色の実色を現るが故に赤色なり。 これ則ち赤白二諦の法門、福智円満の功徳なり。
[中略]
誠に本地は文殊なるが故に、三世の諸仏に父母たり。 如意輪なるが故に、心王意識阿弥陀なり。 毘沙門天王なるが故に、大定相応すれば不動尊。 普賢菩薩なるが故に、一切衆生は菩提行願の身なり。
この菩薩は四人の王子あり。 四人の王子とは、内には四種の勝利を顕し、外には三部の玉体を示す。
[中略]
次にまたこの明神には、八人の童子を以て眷属とし給へり。 その八人の童子とは、六道四生の間には、権実の風を仰ぎ、三界五趣の間には、応化の月を照らす、和光利物の体なり。
[中略]
またこの明神には二人の式神仕ひたまふ。 その二人の式神とは。一は頓遊行、二は須臾馳走神なり。
[中略]
今はこの稲荷大明神の本地は、これ大聖文殊師利菩薩、久成の如来なり。 垂跡を云へば、陀枳尼明王、等流の化身なり。 濁悪の教主なり。

「諸神本懐集」

稲荷は聖如意輪観自在尊の応現なり。

「兼邦百首哥抄」

いなりの事。 (元明天皇の御宇出現。一説弘法大師入唐の時御供被甲ともあり。和銅年中にいなりにくわんじやう也)。
[中略]
五社内。 上之社 十一面。 中之社 千手。 下社 如意輪。 田中 不動。 四大神 びしや門。 客神は地蔵也。

「類聚既験抄」

稲荷社事。
上社二所(地蔵。観音)。
中社(毘沙門。千手)。
下社(如意輪)。
謂之五所。

「諸社禁忌」

稲荷(神主秦清賢注之)。
本地。 下宮(如意輪)。 命婦(文殊)。 田中(不動)。 中宮(普賢)。 黒尾(弥勒)。 上宮(毘沙門。聖観音)。 小薄(普賢)。

「仏像図彙」

三十番神

稲荷大明神(二十二日)

城州紀伊郡
大同年弘法大師東寺創立の時門前に来現し玉ふ
[図]

宮家準「稲荷信仰の展開と修験 —護符を中心に—」

 近世期の伏見稲荷には寛永十年(1632)に天阿(1598-1674)が開いた本願所の愛染寺があった。 天阿は近江長浜の日出山神照寺で得度後、醍醐寺で修行しさらに稲荷山に来て愛染寺を開基し、稲荷の教学と修法を整えた。 丁度その頃にあたる寛永十三年(1636)五月五日に高野山清浄院内の宝信院が書写した『稲荷五所大事聞書』に稲荷の神格と霊地、関連社が挙げられている。 それによると、稲荷五所は上御前・中御前・下御前・四大神・田中御前からなり、その相互の関係、本地、使霊の相関は図1「稲荷五所・本地相互関係他」の通りである。(括弧内は本地)

                      〇印が稲荷五所

〇中御前、妻(千手・薬師・弁才天或いは聖天)八幡
 │
 ├〇四大神(毘沙門天)社殿の前に稲持社(阿弥陀)
 │          社殿の後に黒烏社・命婦(弥勒)
 │
〇上御前、太多羅持男(十一面・釈迦・聖天或いは弁才天)金剛界
 │
 │ 十禅(地蔵)   社殿の後に小薄社・命婦(普賢)
 │           赤色の地狐、奇特岩
 │
 ├〇田中御前(不動尊)
 │
〇下御前、太多羅持女(如意輪・阿弥陀・吒天或いは愛染)胎蔵界
            社殿の後に命婦社(文殊)
             白色の天狐
   図1 稲荷五所・本地相互関係他
      (『稲荷五所大事聞書』による)

 このうち上御前の聖天は摩抳峰、中御前の弁才天は滝の峰、下御前の吒天は荒神塚(または吒天塚)に祀られているが、この三天の塚を三弁宝珠になぞらえている。 さらに山内には惣じて四十八社、十二所王子がある。 また日本七所大吒天として、天照大神・熊野本宮・大和布留大明神・戸隠大明神・日光権現・稲荷大明神・九州箱崎八幡をあげている。 ちなみに『稲荷講志』では天阿はこの上社の聖天・中社の弁才天・下社の吒枳尼天を日・月・星(北斗星)にあて、これを三天和合尊として愛染寺に祀ったとしている。

山下立「刀八毘沙門天像の成立と発展 —伏見稲荷大社の刀八毘沙門天曼荼羅図を中心に—」

稲荷の本地

 手始めに、近世の写本ながら、東寺観智院本『稲荷大明神縁起』所引の「稲荷山神祠再興幹縁簿」を見てみよう。 「夫当社者、千手・如意輪・十一面之垂跡也、其翼衛亦不動・多聞也、故称社者五焉」と稲荷五社の本地について簡潔に説明がなされているからである。 ほぼ同様の説は、『稲荷流記』『稲荷祭中門作法』『稲荷一流大事』など、中世に成立した諸種の稲荷関係書にも記されるが、殊に『稲荷流記』では、この五尊を稲荷各社に配当している。 すなわち「稲荷五社者、一ハ大明神、本地十一面、上ノ御前是也、二ハ中ノ御前、本地千手、大明神之当御前也、三ハ大多羅之女、本地如意輪、下御前是也、大明神之前御前也、四ハ々ノ明神、本地毘沙門、中御前御子、即御同宿中御前、五ハ田中、本地不動、先腹大多羅之女御子也」ということになり。 さらに江戸初期に書写された『稲荷五所大事聞書』になると、稲荷三社に如来・天部などから、観音以外の本地説を複数付加し、或いは境内摂末社の本地も一々明記するに至る。 いま、これを整理すると、次の如きになる。
上御前(十一面、釈迦、聖天或いは弁才天、金剛界)
下御前(如意輪、阿弥陀、吒天或いは愛染、胎蔵界)
中御前(千手、薬師、弁才天或いは聖天、八幡)
四大ママ(毘沙門)、田中御前(不動)
十善(地蔵)、小薄社(普賢)、命婦社(文ママ)、稲荷社(阿弥陀)、黒烏社(弥勒)、桟利童子(不動)、三宮(虚空蔵)。
 以上のごとく、各種の稲荷信仰関係の史料を通観すると、上御前・中御前・下御前の三社に十一面・千手・如意輪の三観音を、四大神・田中御前には、毘沙門天・不動明王を配当する説が有力であった事が知られよう。