二柱大神社 埼玉県深谷市榛沢新田 旧・村社
現在の祭神
二柱大神社伊弉諾尊・伊弉冊尊
末社・天満宮菅原道真
本地
聖天社十一面観音
天神社十一面観音

「新編武蔵風土記稿」巻之二百三十二
(榛沢郡之三)

榛沢新田村

聖天社

村の鎮守なり、 慶長十一年の勧請にして、本地十一面観音を安ず、 永楽寺の持

永楽寺

新義真言宗、那賀郡小平村成身院の末、正受山大楽院と号す、
[中略]
天神社 本地十一面観音

「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」

二柱大神社

  深谷市榛沢新田1003(榛沢新田字聖天)

歴史

 当社は榛沢新田の守り神として、慶長十一年(1606)に開発に携わった人々によって創建された社であると伝えられており、神仏分離までは大聖歓喜天を祭神とし、聖天社と呼ばれていた。 このことは、『風土記稿』榛沢新田村の項にも「聖天社 村の鎮守なり、慶長十一年の勧請にして、本地十一面観音を安ず、永楽寺の持」と記されていることからも知られる。 それが、明治初年の神仏分離によって、本地仏は永楽寺に移され、明治七年には社号は二柱大神社、祭袖は伊弉諾命・伊弉冉命の二神に改められたのである。

信仰

 当社の本殿には、厨子に入った高さ約17センチメートルの歓喜天像が安置されている。 「遷宮の記録」と題する棟札状の板に記された文によると、この神像は、明治六年ごろから永楽寺に納められていたが、昭和三十四年四月に当社本殿に奉遷されたもので「聖天様のお姿」として大切にされている。