八幡神社 | 埼玉県八潮市八條 | 旧・村社 |
---|
現在の祭神 | 誉田別命(応神天皇)・神功皇后 <八幡社>・大己貴命 <久伊豆社>・須佐之男命 <氷川社> [合祀] 面足尊・惶根尊 <第六天社>・木花開耶姫命 <浅間社>・市杵嶋姫命 <厳島社>・菅原道真 <天神社>・宇迦之御魂命 <稲荷社> |
---|
本地 |
|
---|
歴史
当社は、社伝によると、宝徳元年(1449)に山城国(京都)の男山八幡宮から八幡大神を、岩槻の久伊豆神社から久伊豆大神を、大宮氷川神社から氷川大神を勧請して併せ祀ったのが始まりである。 また、棟札によれば、承応二年(1653)に本殿を再建した。 正徳二年(1712)の「神位願一件」(会田家文書)によれば、清蔵院と名主組頭らが相談して、十五年かけて宗源宣旨を受けるための御位金を積み立て、正徳二年に伊奈半左衛門代宮所の添状の交付を依頼し、この添状と共に神祇管領吉田家べ願書を提出した。 その中に「一、三神之本地ハ八幡之本地ハ弥陀、氷川大明神之本地ハ如意輪観音、久伊豆大明神之本地ハ十一両観音二御座候」「一、御幣ハ正月元朝二三神へ各々壱本ヅヽ、進上いたし来り申侯、亦九月十五日之祭礼之時、亦如右、三神へ各々壱本宛進シ申候」「一、祭礼ハ年二壱度宛九月十五日いたし来り申侯、備物御幣三神へ各壱本宛井、御神酒進上いたし来り申侯」などの文面がみえ、三神共に丁重に祀っていたごとがわかる。 同年十一月二十八日付で三神に対して宗源宣旨が出された。
『風土記稿』八条村の項には「氷川久伊豆八幡合社、村の鎮守とす、清蔵院持なり、末社、弁天、天裡、稲荷」とあり、更に別当の清蔵院は「白幡山と号す、本尊大日を置、此寺もと村民五左衛門が屋敷内にありし庵なりしを、後に一寺となせり」とある。これに見える村民五左衛門は会田家を指す。 清蔵院は当社の境内東側の辺りにあった。