氷川神社 | 埼玉県八潮市2丁目 |
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現在の祭神 | 須佐之男命 <氷川社>・大己貴命 <久伊豆社> [合祀] 豊受比売命・倉稲魂命・市杵嶋姫命・大山咋命 |
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本地 |
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歴史
『風土記稿』に当社は「氷川久伊豆合社、村の鎮守にて、村持、稲荷社、普門院の持」とある。
口碑によると、当地草分けの筆頭は当社の旧社家である恩田敬太郎家であり、開発時に普門院を建立し、同院持ちとなっている稲荷社を恩田家の鬼門除けに祀ったという。 下って当社は、同家先祖恩田治部(寛永年間没)が神主となって祀ったものである。 以降明治初期まで同家が神職として奉仕している。 勧請当初は氷川の神一神を祀り、後に久伊豆の神を配祀したと思われ、「武州埼玉郡八条領二丁目村 正一位氷川大明神幣帛 正徳五年(1715)二月十二日神祇管領兼敬」と記した幣帛筥の蓋があり、また「奉造栄□□正一位氷川大明神久伊豆大明神両神鎮座処 元文三稔戊午晩夏吉辰」とある本殿棟札がある。 これらを勘案すると配祀の時期を推察することができる。
恩田敬太郎家邸内にお仮屋(御幣の間ともいう)があり、神仏分離まで祭神須佐之男命と大己貴命の本地仏であったと考えられる延宝四年(1676)の懸仏二面(十一両観音と勢至菩薩)が祀られている。