枚岡神社 | 大阪府東大阪市出雲井町 | 式内社(河内国河内郡 枚岡神社四座〈並名神大 月次相嘗新嘗〉) 河内国一宮 旧・官幣大社 |
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現在の祭神 | [一殿] 天児屋根命 [二殿] 比売御神 [三殿] 武甕槌命 [四殿] 斎主命 |
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本地 | 地蔵菩薩 |
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枚岡神社もまた本地垂迹の思想から免れることができなかつたが、本地仏については、当初から後代まで変わることなく、地蔵菩薩とせられてゐた。 枚岡神社の本地仏を地蔵菩薩とする考へがいつごろにはじまつたかは明かでないが、遅くとも平安時代の末期には固定してゐたと思はれる。
[中略]
鎌倉時代に、空海に仮托してつくられた『中臣祓訓解』をみると、「千座の置戸の解除を以て、天児屋根命(河内国平岡、本地地蔵)をして、其の解除の大諄辞を掌らしめ」云々とある。 ことに天児屋根命に注して、河内国平岡とし、その本地を地蔵菩薩としてゐるのは、河内国の枚岡大明神の本地を地蔵菩薩とするものであり、枚岡神社においても、このころにはその本地を地蔵菩薩とせられたのであつた。 おそらく平安時代の末ごろから地蔵菩薩とせられたのであらう。 しかし、春日社の第三御殿と枚岡神社と、そのいづれが早く本地を地蔵菩薩とみなしたかはわからないが、いづれかが他の影響をうけたものであらう。
春日大明神を慈悲万行菩薩と称したのは、平安時代のはじめとみられるが、そこに慈悲深き地蔵菩薩を本地仏と考へる素地がみられよう。 地蔵菩薩を本地仏と考へられることによつて、枚岡神社に対する信仰はさらに深められた。