広峯神社 兵庫県姫路市広嶺山 国史現在社(素盞嗚神)
旧・県社
現在の祭神 [正殿] 素戔嗚尊・五十猛命
[左殿] 奇稲田姫命・足摩乳命・手摩乳命
[右殿] 田心媛命・湍津媛命・市杵嶋媛命・正勝吾勝々速日天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野樟日命
[合祀] 大年神・御年神・若年神・久久年神・八衢彦神・八衢媛神・久那斗神・稚産霊神・級長津彦神・級長津媛神
本地 薬師如来

「姫路市史」第15巻 上(別編 民俗編)

広峯信仰[LINK]

 広峯神社の祭神と社伝  神社は姫路城の北方数キロメートル余の広嶺山にあり、西峰は白幣山、東峰にはお旅所の天祖父神社、中央の峰には南面して現社殿があり、眼下に播磨平野を見下ろす地にある。 祭神は正殿に素盞嗚尊とその御子五十猛命、左殿は奇稲田媛命とその父母脚摩乳命・手摩乳命、右殿には正哉吾勝々速日天忍穂耳尊以下八柱の神を祀り、その他大年神以下十柱の神々を合祀し、庚申堂・山王権現社・天神社・稲荷社・熊野権現社・大鬼社・蛭子神社・天祖父神社がある。 明治の神仏分離令以前の祭神は牛頭天王であり、その本地仏である薬師如来像も祀られていたと伝えている。 神社の名称も天王山広峯社・天王山増福寺・広峯山増福寺などがみられる。 明治時代以後は広峯神社と称され現在にいたっている。
 社伝によれば、創建は崇神天皇の時代に白幣山に素盞鳴尊を祀ったといわれ、神功皇后は西征の時に白幣山にのぼり軍の勝利を祈ったと伝えている。 天平七年(七三五)に吉備真備が唐より帰朝の際に神託を受け天皇に奏上して社殿を建て、土地を広峯山(明応六年・一四九七に広嶺山と改称)、社名を広峯社と称したといわれている。 天禄三年(九七二)白幣山より現在地に移されたのが今の広峯神社である。