久伊豆神社 埼玉県蓮田市井沼  
現在の祭神 大己貴神
[合祀] 猿田毘古神・建速須佐之男神・加具土神・市杵嶋姫神
本地 聖観音

「新編武蔵風土記稿」巻之二百一
(埼玉郡之三)

井沼村

久伊豆社 二宇

二社共に村の鎮守なり、 いずれも本地仏正観音を安ず、 宝泉寺持

「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」

久伊豆神社

  井沼759(井沼字後塚)

歴史

 当社は、口碑によると、宝永七年(1710)三月に、騎西の明神様(玉敷神社)から分霊を勧請し、社殿を再建したという。 『風土記稿』井沼村の項には、「久伊豆社二宇 二社共に村の鎮守なり、いずれも本地仏正観世音を安ず、宝泉寺持」と載る。 また、口碑によれば、当社の境内は元々佐藤家の敷地内であったという。 また、別当であった宝泉寺の住職は、しばしば佐藤家から輩出していたという。 恐らくは、本来佐藤家の氏神であった社が、村の鎮守として信仰されるようになってきたことから、宝永七年に久伊豆神社の本社とされる玉敷神社から改めて分霊を受け、同家とも関わりの深かった宝泉寺住職の手により、本地仏が納められたものであろう。
 なお『風土記稿』に見える二社の久伊豆神社のうちのもう一社は、字的場に鎮座していたが、明治四十年五月、当社に合祀された。