「新潟県史蹟名勝天然紀念物調査報告」第1輯
佐渡で御降誕になつた順徳天皇の第一皇女島照姫命の御墓で、佐渡郡畑野村大字宮浦字唐崎にある。
島照姫命とは御謚号で御名は慶子と申上げたといふ。
御母は右衛門佐局と云ひ、従二位権中納言藤原範光の女で、供奉女房三人の隨一であると伝へられて居る。
女王は嘉禄元年の御降誕で鎌倉からの命に依り宮浦の地頭本間次郎兵衛が守護申上げて居たが、弘安九年御年六十二で薨去になつた。
[中略]
却説女王薨去の後、土人等は一宮大明神と称へて、附近に社殿を営み産土神として崇め奉つて居たが、此一宮大明神は明治以前は同村同字の慶宮寺といふ真言宗の寺の住職が別当として奉仕し、国分寺もまた奉仕の為め門徒上之房、行泉坊を慶宮寺の境内に置いたが、維新の際共に之を停められ、一宮神社と称し明治六年郷社社に列せられた。
以前は神社の本地仏として木造阿弥陀如来立像が安置してあつたが、今は慶宮寺へ移された。
一宮神社の創立年代は詳でないが、宮浦及び久地の地頭本間直泰が本社に奉納し、現今慶宮寺の所蔵になつて居る大般若経の奥書に「一宮大明神」「明応十年辛酉卯月十九日」「奉施入久知加賀守直泰生年五十才」等の記載がある。