今宮神社 埼玉県秩父市中町 旧・村社
現在の祭神 伊邪那岐大神・伊邪那美大神
[配祀] 須佐之男大神・八大龍王神
[合祀] 宮中八神(大宮売神・高御産霊神・神御産霊神・生産霊神・足産霊神・事代主神・御食津神・魂積産霊神)・役尊神・聖観世音菩薩・馬頭観世音菩薩・弁才天
本地 大日如来

「新編武蔵風土記稿」巻之二百五十五
(秩父郡之十)

大宮郷

八大権現社

中町の北うらにあり、 所祭八座相殿、大宮売神・神御産日神・高御産日神・玉積産神・生産日神・足産日神・御食津神・事代主神、 本地大日如来、木坐像長一尺三寸、 例祭三月二十八日・八月二十八日なり、 当宮社再建は文亀元年八月に成就して、号今宮八大権現、祭神は大宮売神・建神籬社号今宮、其勧請八座委儀如大内御巫祭神、 天正十九年十石の御朱印を附せらる、 社内に東照宮御像を安置し奉る、木の御坐像束帯にて御長一尺八分、
別当今宮坊 長岳山正覚院金剛寺と号す、本山修験、聖護院直末なり

「埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父」

今宮神社

  秩父市中町15-1(大宮字今宮平)

歴史

 市杵島姫命である。 口碑によると、その年代は明らかでないが、午の年に利根川の洪水が起こり、この耕地に金箔の幣束が流れてきて、これを村人が拾い上げ、現在の地に祠を建てて祀ったのが始まりであるという。
[中略]
 当社は、古来、伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っていたところに、大宝年中、役小角が、悪獣毒蛇から作物を守る八大竜王を合祀し、八大宮と称したという。 下って天文三年諸国に悪病が流行した時、これを防ぐために、京都の今宮神社から素戔嗚尊が分祀され、社号を今宮神社と改める。 永禄年中、甲斐武田の軍勢の兵火により社殿を焼失し、以降仮殿であったが、天正十九年に至って徳川幕府から朱印十石、除地七石を安堵され、寛永七年に社殿を再興した。
 『風土記稿』には、今宮八大権現社と記され、大宮売神・神御産日神・高御産日神・玉漬産日神・生産日神・足産日神・御食津神・事代主神の八座相殿とあり、本地を大日如来と載せており、更に別当について「別当今宮坊長岳山正覚院金剛寺と号す、本山修験、聖護院直末なり、開山長岳永観二年四月十五日寂す」とある。
 今宮坊は、平安中期の開山であり、近世には札所十四番の別当坊をも兼ねていた。