「羽咋市史 中世・社寺編」
稲荷社 本町
羽咋神社の西北方、本町にあり、岡松山観音寺(曹洞宗)と境内を同じくし、社殿は南面する。
現在の神社明細帳には登録されていないが、もと無格社で、明治十三年一月の明細帳は祭神を宇賀御魂神としている。
もとは石城別命の御墓の頂上に鎮座し、稲荷氏一族の守護神として信奉されてきたのである。
[中略]
稲荷社ではあるが観音様と呼ばれ、古い由来伝承がある。
すなわちこの観音様は聖武天皇建立の東大寺大仏と同木をもってつくられた十一面観音で、その後、越前角賀(敦賀)の金ヶ崎の長者が安置していたのを、神亀二年(725)に羽咋公吉衛(俗に岡長者吉衛とよばれた)が故あってこれを迎え、羽咋村に一宇を建立して岡長者の鎮守となし、子孫の稲荷一族が奉祀してきたというのである。
[中略]
なお稲荷家には稲荷屋氏先祖由緒・当社由緒略縁起・十三郎出自写などを伝来し、稲荷社の由来も詳しく伝えられている。
これらによれば、稲荷氏の先祖を千賀の長者・宇賀の長者・岡の長者と称しているが、これは穀霊をさすウカ・ウガを冠してよんだもので、おそらく穀霊を信奉して長者となった氏族だったのであろう。
そこで穀霊すなわち稲荷の神を信奉し、本地仏として十一面観音を祀ったのであろう(十一面観音は鎌倉末期から伏見稲荷の上社の本地仏になっていた)。
そして稲荷を名乗るまでに至ったのである。