歴史 なお『風土記稿』や前述の杉崎家文書の中には、別当寺についての記載はなく、地内には寺院や堂も存在しないが、内陣には金幣と共に木造彩色の十一面観音像が本地仏として安置されていることから、古くは当社の祭祀にかかわる寺院があったものと推測される。