| 毛谷黒龍神社 |
福井県福井市毛矢3丁目 |
式内論社(越前国坂井郡 毛谷神社) 旧・郷社 |
| 現在の祭神 |
高龗神・闇龗神・男大迹天皇(継体天皇) |
「府県郷社 明治神社誌料」中巻
創立年代詳ならず、
男大迹王越前国御在住之時、国中泥水流落する路なく、所々江沼多きを以て、信露貴、足羽、九頭龍の三大川を掘り、水戸を三国港に開かれし砌、凡北国無双の大河と成る、茲に高龗神を以て九頭龍川の守護神に勧請せられき、
然るに承平の頃生江長者世常宿禰、神殿造営以来風雨従時、年々七度の祭礼修行あり、
永禄の頃賊火の為め社頭回禄に罹り、翌年再興し、又慶長の頃焼亡しぬ、
依つて北の庄足羽山麓良峡に仮宮を設立し遷座す、
万治二戊戌年前国主松平少将光通朝臣尊敬ありて、字桜山今の黒龍山一円を寄附せられ、社殿造営あり、
社号中古より黒龍神社と称す、蓋し鎮座の地名黒龍山なるを以て也、
一説に曰く、当社は延喜式の所謂坂井郡三十三座の一、毛谷神社なるべしと云ふ、
[中略]
絵図記に曰く「上中神宮寺町毛屋の産土神也、凡開聞の時、国土護神の神社として四国に四神座しき、東に常陸鹿島、南に紀伊熊野、西に安芸五厳島、北は越前黒龍大神、各四隅を守り給ふ一神也、然るに承平の頃生江長者世常宿禰霊夢を蒙り、当社の伽藍を建立せり、以来神風法水片時も不断、然るに永禄比賊火の為め社頭寺字一時に回禄せり、同年速かに再興の処慶長の比焼亡せり、其時奇なる哉、神体飛出焼くることなしと、豈凡慮の及ぶ処ならんや、已後神殿、拝殿造立ありしとかや云々、」
又帰雁記に「黒龍神社は幾代の創始なるかを知らず、朱雀の時、承平年中伊良縁世恒宿禰の長者社檀を建立す、昔時年七ヶ度の祭祀ありて神威いみじ、、或人延喜式坂井郡毛谷神社は是也と云ふ、今社の麓を毛谷と云ふは其故にや、又舟橋と云ふ処に宮跡あり、北陸道の惣神四海の鎮守にして、東西南北の北の此神日本黒体黒龍王と申し、本地釈迦に座す、久しく避宮にありしを、元禄三年の夏大守吉品公御願をして、御造営相成りたる云々」と