「御府内備考続編」巻之十九
金杉天満宮社(小石川金杉)
鎮座之儀者元暦元年頼朝卿御建立之由御座候、
○本社
神体木座像(丈六寸、菅公自作)
略縁起左之通、
抑当社牛天神の由来を尋奉るに、人皇八十一代寿永元年壬辰春四月頼朝公東国逆臣を追伐したまふ砌、
小石川の江湖に船をとゝめて難風をしのき(昔は此所入江なり)、船を老松につなきしはらく和波を待たまふ、
かゝる所に夢中に衣冠光顔人牛に乗て顕れ、頼朝公に告たまふは、
汝此松に神霊有ことをしらすや、吾は是此神則自在天神なり、
汝は二つの吉事有、疾本国に帰れ、汝か武運若満足せは吾に小社を営報すへしと託して雲にかくれ失たまふ、
頼朝公夢さめ傍を見たまへは、牛と見えしは盤石なり(今の牛石是なり)、
頼朝公急き本国に帰館有て、同年の秋八月頼家公誕生有、翌年癸巳四月動かすして平氏敗軍せり、
頼朝公神徳歓喜の余当社御建立有(八十一代後鳥羽院御宇元暦元年二月)、
其時菅公御自作の坐したまふ尊像御長六寸の御正体を当社に安置し、神領等附ふといへとも、幾の歳霜をへて皆失へり、
[中略]
○祭礼、正二五九月二十五日
[中略]
○本地堂
本尊十一面観音(木立像、丈七寸、運慶の作)
[中略]
○末社
地蔵堂 地蔵尊(木仏に而首斗石、丈一尺六寸)
妙義社 神体白幣
稲荷社 神体木立像
太子堂 神体木立像
黒暗天石祠 神体白幣
阿弥陀堂 当時廃し申候、
護摩堂 不動明王(木立像、雲慶作、丈一尺一寸八分)
[中略]
○別当泉松山観行院竜門寺
同巻之二十三
第六天社(小日向上水端)
当社起立え儀者、延文五年源尊氏将軍五男義詮将軍之時此地に安置之旨社伝之由書留有之候、
尤貞享元子年御先手逸見源兵衛殿御組筋与力浅葉三右衛門并同心下田八右衛門両人に而、
往古より有来候社を再興仕、其砌右願主両人より被相頼、貞享五子年より龍門寺持に相成申候、
○神躰木立像(長五寸余)
但本地仏阿弥陀如来、右弥陀之種子有之古碑 当第六天社内に有来を何之頃より歟、龍門寺境内へ取置申候、
[中略]
○祭礼毎月十九日
○別当龍門寺(小石川牛天神別当に候得共、当社兼帯故記此) 東叡山末