| 黄金山神社 | 宮城県石巻市鮎川浜金華山 | 式内論社(陸奥国小田郡 黄金山神社) 旧・県社 |
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| 現在の祭神 |
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| 本地 |
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- 一 弁財天宮 三間四方 板葺
- 御神躰御木像御長三尺七寸作不知縁記無縁(日)ハ巳己
- 別当 大金寺
- 一 龍蔵権現宮 壱間弐間 萱葺
- 御神躰十一面観音御長壱尺弐寸秘仏弥陀薬師御長何も八寸半御木像作不知縁記無縁日毎月二十日
- 一 愛宕権現宮 壱間四方 同
- 御神躰地蔵御長八寸作不知縁記無毎月二十四日
- 一 神明宮 壱間四方 同
- 御木像弥陀薬師御長五寸作不知縁日毎月十六日
- 大般若経六百巻 秀衡公納候由書本 但ハフン紙
- 一 浜明神宮 三尺四方 同
- 本地不動毘沙門御長七寸縁記無毎日二十七日
- 一 滝の不動堂 同 同
- 御木像御長五寸知作不縁記無毎日二十八日
- 一 天神宮 弐尺四方 同
- 御木像御長五寸作不知縁記無毎日二十五日
先つ弁天社に詣でてぬかつく。 抑此山は日本五樁の最初にして、弁才天女垂跡の第一なりとなん。 上方なる台に本社を遷すとて、高きところを切平らけ新営の趣見ゆ。 旧社に倍せる宮作りなりといふ。
[中略]
遂に絶頂なる龍蔵権現に至る。 麓より此処までの路四十八丁といへり。 縁起に因れば、天竺無熱池の善女龍王十一面観世音の垂跡となん。
本社は天正文化両度の火災に罹り社記伝らず、創建其他詳なること得て知るに由なしと雖も、社伝によれば、神代の昔大己貴命、少彦名命と国作りましましし時、樁をも作らんと詔給ひて、金石を集めて煉堅めて山となし給ひしものにて、東海中に卓立すること百四十余丈、周廻四里八町、高峻突兀其形霊亀の宝珠を負ひたるが如し、 降りて人の世となりては、別に其名とても顕れざりしが、天平二十一年丸子連等相議りて、山中より黄金を採掘せしかば、時の陸奥守百済敬福之を朝廷に奉りぬ、されば朝廷大に丸子連等を賞し給ひて牡鹿連の姓を賜りぬ、 此時大伴家持、我朝始めて黄金の出でしを祝ひ奉りて長歌を作りしが、その反歌に美知能久夜麻爾山神社祭神黄金華佐久と詠みたりしより、此山を陸奥山又は黄金山と云ひしが、後には金華山と呼びなせり、 丸子連等の黄金を掘りし時、山巓に国常立命、海童神、金山毘古命の三神を祭り、山腹に金山毘売命を祭りぬ、 後世本地垂跡の説をなし、三柱の神を龍蔵権現と称し、金山毘売命を弁才天と称せり、 永万仁安の頃藤原秀衡社領三千石を寄附し、堂塔及び四十八坊を建立して、別当を大金寺と号し、荘厳美麗を極む、 次で葛西清重又千五百石を寄附せしかば、社運愈盛大を致ししが、天正中浮浪の徒多く籠りしより、其兵燹に罹りて一山遂に鳥有に帰し、僧侶亦四方に離散せしが、文禄二年下野国岩倉の武蔵房長俊なるもの、復大金寺を再興し真言の道場となして祭祀を奉祀せしより、伊達家に於ても一山を除地となし、永く営繕を加へられしも、文化十年復火異に罹りぬ、 明治二年仏号を改めて黄金山神社と称し、同七年六月県社に列せらる