「多賀大社叢書 諸家篇 1」
福寿院覚書案 安永四年四月[LINK]
胡宮惣躰別躰之事
惣躰
胡宮事勝国勝長狭尊
別躰
東ハ寿命国勝本地薬師、中央ハ空院長狭尊本地聖観音、西ハ福寿国勝本地虚空蔵。
福寿院覚書案 文化元年七月[LINK]
一 御領主井伊掃部頭殿
東叡山御支配地坂本 御殿御末 江州犬上郡多賀大社奥ノ院
敏達天皇勅願所青龍山敏満寺福寿院、往古聖徳太子之御開基、中興慈勝上人再建之地、社堂八百八坊之旧跡 多賀大社 胡宮大明神之別当也。
然る処八百八坊者、元亀年中之兵乱ニ退転仕候。
其後太閤秀吉公右霊場旧跡之由緒を以、御造営被成下候と旧記ニ御座候。
右境内従往古御除地
一 惣本尊大日如来殿 三間四方
一 胡宮社三社之相殿 弐間ニ三間
一 拝殿 四間ニ五間
右三ヶ所御当代ニ至リ御修覆所
一 弐町四方 本堂境内
一 壱町四方 社地境内
一 胡宮御本地仏
一 東之方 薬師如来
一 中央 正観世音菩薩
一 西之方 虚空蔵菩薩
一 観音堂 弐間四方
一 元三大師堂 弐間ニ三間
一 福寿院 四間ニ八間
「日本の神々 神社と聖地 5 山城・近江」
胡宮神社(櫻井勝之進)
多賀大社の南方約2キロの所に鎮座し、同社と同じく伊弉諾尊・伊弉冊尊を祀っている。
しかし祭神については次のような近世の異説がある。
一、多賀社は伊弉諾尊で胡宮は伊弉冊尊、すなわち『延喜式』の多何神社二座とは両社の併称であるとする『諸社一覧』その他の説。
一、胡宮社は多賀の末社の一つで「国勝事勝長狭尊、亦名塩土翁、伊弉諾尊之子也」としながらも「或号胡宮両社」と記す『多賀大社本末神名記』の説。
一、事勝国勝長狭尊として「伊弉諾尊之御子にして御座」と一神のごとくいいながら、「宮之作、一社之内に両社を構」「御本地東之方は薬師如来、西之方は虚空蔵にて御座也」と、二座ともとれる記述をする『多賀大社儀軌』の説。
とくに最後の説ついていえば、当時多賀社は祭神を一柱とし、無量寿仏と称する阿弥陀如来一躯を本地堂に安置していたので、胡宮をその御子神とする場合、一柱とせざるをえなかたのであろう。
しかし胡宮社は本地が両菩薩で社殿も「両社」を構えていたというのだから、通説のように多賀社と同神の二座とみるのだ妥当であろう。