身代神社 埼玉県南埼玉郡宮代町須賀 旧・村社
現在の祭神 素盞嗚命
[合祀] 倉稲魂命・少彦名命・保食命・菅原道真・木花佐久夜姫命・徳川家康・遠津祖神・品陀和気命(応神天皇)・別雷命・大山咋命・狭依姫命・武甕槌命・経津主命・岐神・建御名方命・市杵嶋姫命
本地 楊柳観音

「新編武蔵風土記稿」巻之二百七
(埼玉郡之九)

須賀村

身代明神社

祭神詳ならず、 本地仏楊柳観音を安ず、 村内の鎮守なり、 龍光寺持、
神楽殿
末社 稲荷 疱瘡神

「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」

身代神社

  宮代町須賀1634(須賀字下堤)

歴史

 当社の創建は、明治三年の「社頭并除地書上写」に「仁治三壬寅年(1242)三月中勧請仕候」と記されている。 また、「身代山由来記」によると、身の代大明神は大宮郷の氷川大明神と同神で、素盞嗚命が大蛇を退治して心が清々しくなったとの故事により当地を須賀村と称し、蛇の縁により別当を竜光院と号したという。
 更に、口碑によれば、ある武将が奥州に落ち延びる際、その姫が追っ手に捕らえられそうになった。その時、当地の村人がこのしろという魚を焼いた。 この匂いは人を焼いた臭気に似ているため、村人は追っ手に対して「姫は死んだ」と言って、その命を救った。 姫は感謝して鰶にちなんで身の代神社を祀ったと語られている。
 『風土記稿』須賀村の項には「身代明神社 祭神詳ならず、本地仏楊柳観音を安ず、村内の鎮守なり、竜光院持、神楽殿 末社 稲荷 疱瘡神」と載る。 神仏分離を経て、明治六年に村社となった。 別当であった竜光院は身代山と号する本山修験で、開祖尊長は永禄四年(1561)の没で、現宮司の加藤武男はその裔で十九代目に当たる。