「宗像大菩薩御縁起」
宗像三所大菩薩一所ニ御遷座事
一、孔大寺権現者、御垂迹之時代不知之。本地奉秘之。大宮司一人之外者、不相伝之。
吉野象王権現と一躰異名之神明云々。
彼山頂に有大穴。仍号穴大寺。
自彼穴神明或現白馬之形、或現大蛇之形、指出半身、祭礼を受たまえり。
「太宰管内志」筑前之十二
(宗像郡中ノ上)
〔宗像神社正平末社記〕に孔大寺権現一所、九国二島大小神祇勧請、高棚有之、凡日本国普天率土諸神勧請、
眷属小神本地等山神一所・芥神一所・千手堂一所
同筑前之十五
(宗像郡下ノ下)
〔末社記〕に孔大寺権現眷属小神本地等云云、千手堂一所とあり、
〔正平記〕に二月朔日夜千手堂仏事法華八講論談付修正、二日千手堂仏事法華八講論談付修正、三日夜千手堂修正仏事、
社より少し下に今も観音堂あり東向なり
「宗像市史 史料編」第一巻(古代・中世 1)
218〔宗像市村山田梅谷寺千手観音像背部陰刻銘文〕[LINK]
筑前国宗像社 孔大寺権現
本地 千手千眼観世音菩薩
正安三年〈歳次辛丑〉卯月五日 仏師僧定盛
壇那大宮司 宗像朝臣長氏
「宗像市史 通史編」第四巻(美術と建築・民俗)
梅谷寺の十一面千手観音立像[LINK]
この像の背面には四行にわたって、銘文(史料編巻一・中世の218、以下中世を略す)が陰刻されている。
それによると、正安三年(1301)卯月(四月)、大宮司宗像長氏(氏長のこと)が仏師定盛につくらしめた宗像宮の千手千眼観世音菩薩である。
孔大寺権現は、宗像三社に織幡、許斐をくわえて宗像六社のひとつに数えられていた、宗像宮とゆかりの深い社である。
千手堂があり仏事がおこなわれていたこともわかっている。
『宗像雷記』には建長二年(1250)二月のこととして、大宮司氏長の孔大寺山に登り賦した、五言律詩を収録している。
それらのことをふまえてみると、銘文の内容は、宗像の歴史をたしかなかたちで反映している。