夫れ熊野権現は、伊弉諾・伊弉冉尊の垂跡、伊舎那大自在天の応作也。
神武聖代に始て紀州に顕れ、景行宝暦に重ねて宮城を厳す。
是れ天高く晴て瑠璃を含み、瞻匐早や薫して栴檀香風を交う。
霊異照章して神光燭耀す。
縁起に云ふ。
地神五代鸕鷀草葺不合尊の第四子、人王第一神日本磐余彦天皇御宇三十一年辛卯、天皇天磐船に乗り秋津嶋を巡り、紀州の南郊に於て大熊の奇瑞を拝す。
神明の霊夢を感じて神蔵の宝剣を得たり。
熊野の称号、此の時に始れり。
伝に云ふ。
天皇霊夢に依り宝庫を開け、忽に板の上に宝剣を立つ。
即ち権現の御躰也云々。
天皇宝剣を得て州中の邪神を伏し、六合を安じて大業を弘む。
其の後権現、神足を仙龍に課して、神居を紫微に垂る。
今の新宮是れ也。
[中略]
鏡谷の響き達し易く、誠に日本第一の霊神、伊勢同躰の宗廟也。
因て茲に伊弉諾・伊弉冉の両神を結・早玉と称し、伊勢外宮を証誠大菩薩と号す。
内宮を以て若女一王子と号す。
即ち四所の宮殿に千木鰹木を置く。
其の謂たる尤か。
一、新宮影向次第
神武天皇第十年庚午、秋津嶋巡り始る〈異説あり〉。
同三十一年辛卯、紀州の南郊に於て大熊の奇瑞顕現。
同四十八年戊申、天皇神倉の宝剣を得て、馬台の邪神を伏す。
安寧天皇十八年庚午、新宮神倉に垂迹〈切目六十年御座後座す〉。
孝照(孝昭)天皇五年庚午、新宮の東の阿須賀社の北、石淵幾禰谷(貴禰谷)に二宇の社檀を造立し奉り、三所権現を勧請す。
同御宇二十三年戊子、下熊野に大熊現れ、神蔵に三面の月輪と現る。
是与と裸形上人、神殿を造る。
同二十九年甲午九月十五・十六両日、新宮乙暮河に貴男貴女顕れ給ふ。
伊弉諾・伊弉冉の霊魂云々。
同五十三年戊午、裸形上人岩基隈の北の新山に三所権現を崇め奉る。
是れを新宮と号す。
孝安四十八年丙子、熊野新宮焼失。
三所の神鏡飛出し榎に懸り、其の後仮殿御遷宮の時、又人の手を懸け奉らず飛入り給ふ云々。
景行天皇御宇五十八年戊辰、新宮大廈の締を致す。
社壇を倍に構へ、間の廻廊は美を尽す。
仍て官の外記に云ふ。
景行天皇の御宇、新宮始る云々。
[中略]
縁起に云ふ。
神倉権現は、孝照天皇御宇二十三年戊子、猟師是世、新宮熊野楠山に於て、一丈二尺の大熊三頭走るを見て、これを射らんと欲し、追て行く。
此の熊、西北の巖上に至て、忽に三面の神鏡と現す。
神霊巍々たり、光明照曜す。
是世、仰いで信の余り、弓箭を折り捨て懈り無し。
裸形上人出来して、三面の鏡の上に、一宇の神殿を造り覆う。
勤行三十一年、戊子歳より戊午歳に至る。
今の神倉権現是れ也、
[中略]
系図 役行者々雅顕長者再誕
三公位田大臣 今勧請十五所
千与定────┬嫡子雅顕長者──嫡女〈証誠大菩薩、慈悲大顕王后 結・早玉両所母后〉
│
├裸形上人〈新宮・那智建立上人〉
│
│慈悲大王御倉預
├長寛長者───┬嫡女〈早玉后 禅師・聖母〉
│〈於吾朝者号 │
│ 稲荷大明神 │次男
│ 新宮飛鳥大 ├是与〈神倉権現勧請神也、縁起相伝之 或云、礼殿主本地弥勒菩薩云々〉
│ 行事是也〉 │
│ │三男
│ └比平符将軍─┐〈於鎮西彦山者号上津尾)
│ │
│ │嫡子
│ ├漢司符将軍─┐〈此神三狐神為妻、其子三人此一腹也
│ │〈毘沙門〉 │ 於鎮西彦山者号下津尾大明神
│ │ │ 於熊野者号牛鼻大明神
│ │二男 │ 本宮新宮共崇之〉
│ └奉幣司 │
│ │〈不動〉 宰相
│ ├基俊 ○真継
│ │
│ │(大日)
│ ├基成 ○兼純
│ │ 〈宇井判官〉
│ │
│ └基行 ○真勝
│ 〈鈴木判官〉
│号正三位
│四男
├千与兼─────千与高──千与基──高与兼──基兼──重兼──為兼──定兼
│〈本地大日如来〉
│
│号正三位
│号香寿菩薩
│五男 御前
└千与明─────今堤〈曩両人父、今号本宮三昧僧先祖 尾崎者住所名也〉
[中略]
一、新宮本地垂迹の御名秘所霊跡の事
景行天皇御宇、大厦締構、興造の次第也。
十三神殿西より之を始める。
一、西御前 二、中御前 三、証誠殿 四番、若殿〈已上四殿各々也。皆千木鰹木を置く。宗廟神也〉 五番、禅師・聖・児・子守〈四所王子、一殿にこれを造る〉 六番、一万十万・勧請十五所・飛行夜叉・米持金剛童子〈五所神殿を一殿五間にこれ居奉る。本宮は一万・十万一所に御座。新宮は一万・十万各別に御座也〉。
後御社三間、伊勢〈大日如来〉・住吉〈聖観音〉・出雲大社〈阿弥陀如来〉三所御座。
神蔵権現は是世勧請。
一所三面月輪〈三所権現と号す〉。
一所神剣〈本地は不動・愛染〉。
神蔵霊崛は、神剣在る所なり。
八葉蓮華、即ち神庫の上也。
蓮華の上に池有り。
池広きこと中尊大日如来の習い有り。
池の頭に一丈二尺の熊并に八咫霊烏有り。
池の側に生身の不動有り。
慈氏出世して待る。
常燈有り。
八葉の下に崛有り。
宝剣は此の中に在り。
愛染明王の垂迹也。
愛染は愛菩薩〈十六菩薩の内也〉。
或る記に云ふ。
愛染明王の垂迹は、焔摩天也。
秘すべし秘すべし。
坂口の二石有り〈宿願成就の石室と号す〉。
飛鳥大行事・大宮長寛長者、本地は大威徳也。
神蔵権現の本地は不動明王。
〈飛鳥三所は長寛長者大威徳、比平符、漢司符の三所也〉。
[中略]
天岩戸〈天照大神、高間原(高天原)に隠れ給ひし御在所也。俗に天山戸と号す。空中より落ち来たる山云々。飛瀧権現、摩多羅神御座。天照大神の御躰、岩屋にこれ在り。崛中に秘水有り。夏冬増減無し〉。
牛鼻大明神〈不動 毘沙門〉、屋倉大明神、御船嶋大明神、比平符・漢司符両将軍、飛鳥中社は伊勢・住吉・出雲大社、同東社の三狐神は榎本・宇井・鈴木の母也。
[中略]
礼殿執金剛童子、本地弥勒菩薩、智証大師顕し給ふ。
湯峯金剛童子、虚空蔵菩薩、婆羅門僧正顕し給ふ。
発心門金剛童子、大白身観自在菩薩、麁乱神降伏の躰也。
此神は三山に各顕御す者也。
湯河金剛童子、陀羅尼菩薩。
石上新羅大明神、文殊、香勝大師垂迹。
湯河石上二大明神は、新羅国の神也。
地津湯金剛童子、精進波羅密菩薩。
滝尻金剛童子、不空羂索、慈覚大師顕し給ふ。
切目金剛童子、義真和尚顕し給ふ、十一面観音。
藤代大悲心王童子、千手垂跡。
稲葉根、稲荷大明神、新宮、阿須賀一ツ垂迹也。
飛鳥大行事、大宮、大威徳明王、六頭六面六足、魔縁降伏の為也。
摩訶陀国にては権現の惣後見也。
飛鳥・稲葉根稲荷は同躰也。
飛鳥大行事は、権現より以前に、蘆鳥神と云ふ鳥の翼に乗て下り、熊野へ来る故に飛鳥権現と名づく。
[中略]
一、神蔵権現の事
神倉は三山出現より始めに顕れ給へり。
権現天下り給ひし時は、一丈二尺の熊と現し、昼は神倉に籠居給ひ、夜は下熊野に通り給ひき。
神倉の剣は、摩訶陀国五剣を持て渡せ給ふ。
又八尺霊烏も権現の垂迹也。
奥に池あり、此の池は八葉池也。
中尊は大日也。
今神蔵愛染明王と顕れ給ふ。
此の池端に生身の不動御座す。
慈尊出世を待つ。
燈呂あり。
八尺霊烏も此池の端にあり。
神蔵三所は西阿弥陀、中三所権現。
山籠御勤のために、勧請し奉つ者也。
連坂は、当時は土坂と云ふ。
権現降来の時、猟をし給ひし所也。
垂迹の次第は、根本神倉、次阿須賀、宇殿(鵜殿)石淵貴禰谷。
結・早玉・家津御子を祝い奉り始て、次其の変作神は那智三瀧神也。
[中略]
権現は御氏人の漢司符将軍を先に熊野山新宮へ遣せり。
漢司符将軍は天竺に於て召仕されし臣千与定〈正三位云々〉の末孫也。
新宮の東、飛鳥三狐神を妻と為し、三人の男子を儲く。
一男は真俊榎本氏、二男は基成宇井党、三男は基行鈴木党也。
壬午歳三月二十七日巳時、権現人躰と為して熊野新宮千尾峯(千穂ヶ峯)の隈に立ち、漢司符将軍の子息はなきかと奉幣司を以て御尋の処有り。
此の子息等参向す。
大岡明神御前に十二本の榎これ在り。
榎の木影に権現を請い奉る。
仰て云ふ。
此の木影の隈殊勝也とて、嫡子真俊姓を給ふ。
榎本氏と号す。
次男基成は宇井を屋敷と為す。
猪子に白き円餅を進めしむ。
仰て云ふ。
汝の進物等殊勝也とて、姓を丸子と給ふ。
宇井党と号す。
三男基行は塞野村鈴木を屋敷と為し、開発し稲を耕作す。
御馬草料これを進む。
汝が姓は穂積と定むる。
鈴木党と号す。
[中略]
比平符将軍は、本地不動の垂迹。
百王鎮護の八幡大菩薩の随類神、河原大明神と顕れ給ふ。
真俊は不動、基成は大日、基行は毘沙門の垂迹〈三大明神顕れ給ふ〉。
漢司符将軍は毘沙門。
牛鼻大明神と顕る。
中天竺摩訶陀国慈悲大賢王の公卿、正三位千与定、其の子息は石田河上に南岡の住人として、熊野部千与包、本地大日の垂迹也。
今の神官禰宜と成り給ふ。
正三位千与明は、本宮の法花三昧、香寿菩薩の反化身也。
千与包・千与明兄弟二人は、千与包の子息也。
阿須賀大御前は本地阿弥陀如来。
中社は伊勢・住吉・出雲大社。
同東の端に御座すは三狐神、榎本・宇井・鈴木三人の母也。
権現、中天竺摩訶陀国鎮守すと。
顕れ給ふ時は、比平符将軍と号して、其の子唐土にては、漢司符将軍と召仕えき。
鎮西彦山にては上津尾明神・下津尾明神と現る。
本地は不動・毘沙門也云々。