峯ヶ岡八幡神社 | 埼玉県川口市峯 | 旧・郷社 |
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現在の祭神 | 応神天皇 [配祀] 神功皇后・仲哀天皇・素戔嗚尊・天照皇大神・八重事代主神・仁徳天皇 |
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本地 | 阿弥陀如来 |
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八幡社
谷古田領の総鎮守とす、 神体僧形にして長七寸許、慈覚大師の作、 傍に仲哀天皇の御像あり、気比明神と崇む、 又古鏡一面を香椎明神の神体とす、是は神功皇后を祀れりと云、
当者勧請の歴年は伝へざれど、前村の条に云る如く、此辺古の矢古宇郷ならんには鶴岡社領たりし頃、土人遥拝のために勧請せしなるべし、
天正十九年社領三十石の御朱印を賜ふ、
例祭八月十五日、又毎年正月朔日戸帳を開く事あり、其時は村民の内十人衆と称する家ありて、此ものども集りて開くを例とす、
本社の傍に銀杏の老樹あり、囲み二丈四五尺、是は若狭の八百比丘の植し由、尼は郡中貝塚村の人と云伝ふ、されど諸記に八百比丘尼は若狭国小松原の人とみへたり、
甲冑一領 黒糸縅なり、 太刀一振、 棟札一枚 大永七年造営の棟札なり、
此余白幡大般若経などあり、何れも伝来の故を知らず、
白山若宮山王合社、 弥陀堂 弥陀は慈覚大師の作にて当社の本地仏とす、 地蔵堂、 不動堂、 神楽堂 三十番神を置り、 鐘楼、
社家 飯田左膳、
別当新光寺 天台宗、東叡山末、御幣山神宝院と号す、 慈覚大師の開山にして、本尊弥陀は則大師の作と云
歴史
祭神は、応神天皇・神功皇后・仲哀天皇の三柱である。 「御幣山神宝院新光寺如法経縁起並ニ八幡宮略縁起」(新光寺文書)には、当社の神座について、左座は仲哀天皇で気比大明神、右座は神功皇后で香椎大明神、正面は応神天皇で正八幡宮とある。 応神天皇は僧形で慈覚大師の作、仲哀天皇が弓矢を持ち武威を示すのは八幡の俗世の形、神功皇后の正体が明らかでないが、八幡の本地である阿弥陀如来の形であろうとしている。
内陣に奉納の応神天皇、すなわち僧形八幡神像は、二枚の檜材の寄木造りで、高さは24センチメートル、礼盤台座に座し、袈裟をまとった法体の像で、右手に錫杖、左手に経巻を持っている。 更に、光背には金色の日輪が付けられている。 鎌倉後期の木造彫刻とされ、県指定文化財となっている。
[中略]
別当は本尊阿弥陀如来を安置する御幣山神宝院新光寺で当社の東側にある。 「谷古田八幡宮略縁起」(社蔵文書)に同寺は、後三年の役に新羅三郎義光と源義家が奥州征討の途次、当社に戦勝を祈願するや二羽の白鳩が出現し、金の幣帛となって東北へ飛び去った。 戦では、この幣帛が度々現れて乱が平定できたので、奥州の帰路、義光と義家は一寺を建立し、山号を御幣山、寺号を新羅三郎義光から二字を取り、新光寺としたと伝える。