三島神社 | 神奈川県伊勢原市善波 | 旧・村社 |
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現在の祭神 | 大山祇命・誉田別命(応神天皇)・倭健命 |
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本地 |
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三島社
村の鎮守なり、 八幡御嶽を相殿とし、 各本地仏、薬師・弥陀・愛染を安ず、 古は三社各所に在しを慶安四年一社として、御嶽山中に移す、 然るに其地山の中腹にして、風烈く、社頭屡破損せしを以て、寛文七年今の地に移し社領を寄す、 此地は善波太郎重氏が居蹟なりと云、 此時旧社地(御嶽山中)に社守の宅を造営せしに、地中に石槨あり、 中に枯骨及太刀(二口)矢鏃(一枚)瓶子等あり、何人の墳墓たる事を知らず、 若くは善波太郎の墓なるにやと其儘埋め置り、 八幡縁起中に、八幡は善波重氏の霊を祀り、御嶽は其妻、三島は重氏の舅、紀州熊野新宮の社人を祀りしと、其来由を詳に載たれど固より妄誕にして採用に足ず、 是より先天正十一年五月、北條氏旧に因て、社領弐貫文の地を寄附す、 十九年十一月社領一石の御朱印を賜ふ、 社宝に、太刀二振(一は雷電落、一は至瑞と号す、是は石槨中にありし太刀を模して、鍛冶康継の作る所にて銘あり)あり、 例祭六月二十六日・九月二十九日両日なり、 社地より四五町を隔て社守(市右衛門と称す)住せり、 寛文七年村民兵庫と云もの地頭某の命を受て、社守となりしより今に相続すと云