美和神社 |
山梨県笛吹市御坂町二之宮 |
国史現在社(美和神) 甲斐国二宮 旧・県社 |
吉田東伍「甲斐地名辞典」
今錦村の二宮三輪明神是なり。
延喜式、山梨郡の官社にして、巨麻郡にも同名の社存す。
(近世、式内、山梨郡神部神を萩原村に云々するは附会のみ)
旧神領土百七十七石。
国衙と八代の間に在りて、州人の崇敬古より衰へず、一宮浅間に亜ぎて二宮と称す。
二宮神を、延喜式八代郡桙衝神社に擬する説は、名勝志に出て、神祇志料も之に據る。
然れども太子伝玉林抄、嘉応二年の註説に、
「甲斐郡八代郡有霊社、号曰美和大明神、亦曰二明神(二の下に宮字を脱せるなり)是釈迦垂釈[跡]也。其形俗体而、武者乗烏駒」云々。
(巨麻郡の條に参考すべし)
とありて、神座山に天降りたる者と述ぶ、仏徒附会の余に出たる語と雖、古義の存留するを看るを要す。
式内の山梨郡神部神社は、甲州市塩山上萩原あるいは山梨市上神内川の神部神社に比定する説が有力
さて此神座山は、古訓ミワノマス山にて、神部の神の天降り居座せる峰と伝ふ。
太子伝玉林抄に
「甲斐郡八代郡、有霊社、号曰美和大明神、彼神天降之時、踏雲乗烏駒降賜、彼神本山、曰神聖、(聖字一書座に作るを真とすべし)後移美和也」云々
とあるに参考すべし。
又同書に美和神是釈迦垂跡也とあるに因り、本山(神座の本山)に対し、釈迦嶽の別峰あるを了解すべし。