岡廼宮神社 | 埼玉県深谷市岡 | 旧・村社 |
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現在の祭神 | 伊邪那岐命・伊邪那美命 <聖天社> [配祀] 火産霊命 <愛宕社>・誉田別命(応神天皇) <八幡社>・大己貴命 |
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本地 | 十一面観音 |
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聖天社
本地仏十一面観音を安ず、 村の鎮守にして岡林寺持なり
歴史
当社は初め、聖天社・八幡社・愛宕社の三社に分かれていたが、恐らくこれらの社も芝切の手によって創建されたものであろう。 口碑に「当社は妻沼の聖天様より勧請した」とあり、聖天社の創建には武州女沼から来た芝切大野十兵衛とのかかわりが考えられる。
[中略]
社記によると、駿河大納言忠長の家臣であった池田作左衛門は、宵永九年(1633)忠長の怒りに触れ、お暇を申し付けられ浪人となり養父半兵衛の領地である榛沢郡岡部村に隠遁し、池田三郎左衛門と名を改めた。 [中略] 後に三郎左衛門は、岡村にあった善昌寺を中興し、大桂山全昌寺と寺名を改め、亡君の菩提を弔った。 この時、従来村内に祀られていた聖天・八幡・愛宕の三社を相殿として再建し、全昌寺の地主神とした。
棟札によれば、この再建は慶安元年(1648)のことで、中央に「正天 大菩薩」、左右に「愛宕大権現」「八幡大菩薩」と記されるほか、「池田三郎左衛門」の名が見え、右の来歴を裏付ける。
[中略]
『風土記稿』に当社を「聖天社 本地仏十一面観音を安ず、村の鎮守にして岡林寺持なり」と載せている。信仰
「聖天様」の通称からもわかるように、当社の信仰は聖天社が中心となっている。 本殿には、象頭人身の男女二天が抱き合う歓喜天像が安置されており、氏子から霊験あらたかな神として崇められている。 また、この像を納める厨子の扉には、男女の象徴として二股大根が描かれている。 このため、氏子の間では、畑で二股大根が取れると、ます聖天様に供え、また願を掛ける際には二股大根を描いた小絵馬を上げるのが習わしである。