大寄八幡大神社 | 埼玉県深谷市榛沢 | 旧・村社 |
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現在の祭神 | 誉田別命(応神天皇) |
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本地 | 十一面観音 |
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御霊社
村の鎮守なり、 これも上ノ宮と云、榛沢六郎当所を領せし頃、勧請すといへど詳ならず、 本地十一面観音を安ず、 泉蔵院の持
歴史
創建は、社伝には桓武天皇の御代、坂上田村麻呂が奥羽平定の帰路当地に立ち寄り社を建立したと伝え、『風土記稿』には、当地を領した榛沢六郎が勧請した社であると載せる。 古くから御霊社という社名で、上ノ宮(現在の当社)、下ノ宮と二宮一社であった。 祭神は後三年の役で八幡太郎義家の家人として武名を上げた鎌倉権五郎であった。
[中略]
江戸期、別当は上ノ宮が真言宗経蔵院、下ノ宮が真言宗弘福寺であった。 ちなみに、本地は十一面観音である。
[中略]
明治期に入り、当社は榛沢村の村社となり、明治四十年、字児玉にあった下ノ宮を含む、榛沢内の10社を合祀し、当地一帯の古名大寄郷にちなみ大寄大神社と社名を改めた。 更に、昭和二十七年、文化財専門調査員小口平八の考証により、大寄八幡大神社に変更し、祭神も誉田別命とした。