六所神社 神奈川県中郡大磯町国府本郷 相模国総社
旧・郷社
現在の祭神 稲田姫命
本地 薬師如来

「六所明神之縁記」

抑、相模国惣社六所大明神ノ根元伝ヘ奉尋、天神七代目[伊弉諾尊・伊弉冉尊]御子地神ノ初メ、天照御神ノ御連子素盞嗚尊ノ御妃稲田姫尊ト奉申。 是則国府六所大明神ト伝ヘ奉リ崇ムル者也。 已上、神代霊器ニシテ、暦代詳ニ不知ル国府御鎮坐ノ事、仁王十代崇神天皇(甲申)歳、天長地久ノ御タメニ国府ノ里、石上台ト云フ所ニ御宮所アリ。 凡暦代一千八百九十有トス。
六所本宮稲田姫尊・別殿男神ヲ素盞嗚尊并八王子
摂社守公神 御両大明神 祇園社 末社神明大神宮 御嶽蔵王大権現 諏訪大明神 稲荷大明神 日吉山王 弁才天女
[中略]
人王四十四代元正天皇(戊午)暦勅ヲ以テ六所大明神当国八郡神祇ノ可為国司旨宣下惣社ト定リ、一国ノ惣政所ヲ給畢。 則高天原ト伝来、毎歳端午之日朝当国一之宮高座郡寒川大明神、二宮淘綾郡山西村ノ字川匂大明神、三宮大明神大住郡冠大明神、四宮大住郡四之宮村前鳥大明神、第五ニ大住郡八幡村大神宮、
[中略]
四十五代聖武天皇天平年中、天皇并御后光明皇后勅願ノ事有テ、釈ノ行基僧正ヲ以テ六所宮ノ御本地一国ノ国分寺薬師医王如来ト定ム。 (本地垂迹ノ二道、此時初メテ行基開導)
[中略]
行基僧正神鏡ノ裏ニ御本地薬師如来ノ尊像ヲ顕シ玉フ。 神鏡九寸五分、天ノ御鉾ニ奉添数千ノ幣帛包ミ錦ノ服画ヲ垂シ祭ルコト深秘。 従是両部習合ノ神道ニ相成リ中興(行基開導)ト云フ。

「新編相模国風土記稿」巻之四十
(村里部 淘綾郡巻之二)

国府本郷

真勝寺

相府山遍照王院と号す、古義真言宗、(大住郡岡崎、金剛頂寺末)六所明神の別当寺なり、開山行基、
[中略]
△観音堂 本尊如意輪観音、(長一尺一寸)及薬師(長一尺、六所明神の本地仏とす)を安ず、共に行基の作なり

国府新宿

六所明神社

当社は本州の総社と唱へ、当村、及国府本郷・生沢・虫窪、四村の鎮守なり、 古は柳田大神と号せしと云、(柳田は、所在の古名なり)、 祭神は、稲田姫命にして、素盞嗚・大己貴の二尊を合祀す、 崇神天皇の御宇勧請ありしと云、 例祭正月三ヶ日、護摩を修行す、 五月五日、国中一ノ宮(高座郡宮山村にあり)二ノ宮(郡中山西村にあり)三ノ宮(大住郡三ノ宮村にあり)四ノ宮(同郡四ノ宮村にあり)及び平塚新宿に鎮座する、八幡の神輿、神揃山、(前村の属)に集り、一人は三種と号せる、鉾の如きものを馬上に押立、又一人は、守公神と号して榊を持、次第に列して神揃山の下高天原と云所に至る、彼五社の神輿、次第に山を下り爰に至り、神事終りて帰社す、此の祭事は、養老年間に始ると云へど、未詳にせず、
[中略]
幣殿・拝殿・神楽殿あり、
△鐘楼 寛永八年の鋳鐘を掛く
△社守庵
△別当真勝寺 国府本郷村に住す