浅間神社 埼玉県北本市東間1丁目 旧・村社
現在の祭神 木花開耶姫命
本地 薬師如来

「新編武蔵風土記稿」巻之百四十八
(入間郡之十四)

東間村

浅間社

村の鎮守なり、 本地薬師を安ず、秘仏なりとてたやすく示すことをゆるさず、
末社 天神社 稲荷社
別当宝光寺 天台宗、川田谷村泉福寺末、東土山実相院と称せり

「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」

浅間神社

  北本市東間1-6(東間字宮ノ下)

歴史

 創建については、諸説が伝わる。 一説は、万延元年(1860)当時別当を務めていた宝光寺(明治四年に廃寺)が、当社本尊であった薬師如来像御開帳の折に、版木を刷って配布した「富士大権現略縁起」によるもので、崇徳天皇の御世、武蔵国守であった大納言藤原俊行公の霊夢に、最初は本地薬師如来の姿で、二度目は木花開耶姫となって現れた祭神が、社地を示し、貴賎男女の繁栄の地となすべしと言って東を指して飛び去った。 その後、直ちに社殿を建立したという。
 また一説は、『風土記稿』東間村の項に載るもので、「近村宮内村の名主彦兵衛が所持する記録に、鴻巣東新田富士浅間は伊奈備前守御代官の頃、深井藤右衛門及び長楽坊・大乗坊勧請すとあり、是当社のことなるべし」とある。