浅間神社 神奈川県横須賀市津久井  
現在の祭神 木花咲夜毘売命
[合祀] 素盞嗚尊 <八坂神社>・猿田彦命 <日枝神社>・保食命 <御霊神社>
本地
三浦富士権現薬師如来
牛頭天王薬師如来

「新編相模国風土記稿」巻之百十二
(村里部 三浦郡巻之六)

津久井村

牛頭天王社

例祭六月七日より十五日に至る(祭礼中神輿を旅所に移置) 本尊薬師は東光寺に置り、 村持下同、
△末社 金毘羅

東光寺

七宝山医王院と号す、 古義真言宗(逗子延命寺末) 本尊大日、 寺伝に行基の開基にして後年荒廃せしを津久井次郎義行、上野阿闍梨と謀り、中興して祈祷所とすと云、
[中略]
△薬師堂 薬師は行基作(長二尺二寸五分)義行信仰せし像なり
明治41年、八坂神社(牛頭天王社)を浅間神社に合祀

大谷忠雄「神奈川の富士講」

三浦地区[LINK]

 三浦半島一帯の富士講が、その山開きにはこぞって参集する三浦富士については別当寺東光寺の縁起に、
 三浦富士大権現・七宝山・東光寺は今より一千二百余年前、仁王四十五代聖武天皇の天平歳中に、得度の沙門、救世の聖者、行基菩薩と云う者、諸国行脚の砌り当郷に来臨して、草の扉を此の山に結び、衆生救済の為に延命地蔵の尊像を造立せしに、一夜、当所権現、富土山より来たれることを告げて、汝速に当山に於て薬師如来の尊身を彫刻し奉り、一切衆生をして身心安楽なる事を獲せしめんと、則ち行基愕然として寝床を起ち、直に瑞夢の告命を感じて富士山に攀登る。 中略、 神を祭ること、神閑に在すが如く、石室を披いて欽仰せしめ祭拝し玉小、爾れ報身の光りは為に五濁の塵に混り、垂迹の浅間は本地の化道を資く。 中略、 浄土は七宝を用ひて荘厳すれば、日く、七宝山と号し、薬師東方十二瑠璃光世界を照すが故に東光寺と称し、更に三浦富士浅間の御宣託に依るが故に三浦富士大権現と称号するものなり…云々と記されている。