| 現在の祭神 |
日本武尊 [合祀] 大己貴命・天児屋根命・稲倉魂命 |
「府県郷社 明治神社誌料」中巻
創建は延暦年間田村将軍の勧請に係ると云ふ、
其由来は下の如し、往古日本武尊東夷征討の際、国民水害苦しきことを啓す、尊大に之を憂ひ、最上川の上流松川の水源地、赤崩に御剣を立て、河伯を鎮定して洪水を治め給ふ、
其後、桓武天皇延暦二十一壬午年征夷大将軍坂上田村麿東征の際、尊の御神徳を追尊し、始始めて祠を現今の地に建て、赤崩山白鳥大明神と称せり、又単に赤崩神社とも称す、
当時献納せしと云ふ武器今に尚存せり、
事跡考に、
「宮村赤崩山神社には、一社五座、本地観音堂は其の東に在り、或はいふ、赤崩山とは今上長井の上山村赤崩といふ地より選坐し奉る、又安倍貞任の女尾上の霊祠なり」と
あるも、其由緒詳ならず、
後久しく荒廃せしを、後冷泉天皇康平六発卯年鎮守府将軍源頼義、日本武尊の凶賊を平定したまへる神徳を敬仰して、社を再興し、同年九月十九日落成す、故に爾來当日を恒例祭日となすと云ふ、
また宮村昔物語(書名)に曰く、
「国中壮丁にして力量勝れたる武士郷士を招集して、神前に力を競べしむ、之れ相撲節会祭典の恒例とす」
と、尚此時頼義の奉献せしと云ふ剣一口あり、
又此祭典には陣太鼓などを用ゐて獅子を舞はしむ、
之れ練兵に摸せし所にして、爾來此等凡て祭典の恒例となれり、
而して米沢鹿子には、
「赤崩山神は下長井に在り、社領二十五石、神供に鱖を献ず、社辺の村民は、鳥を食はず、禁忌とす、本社は安倍氏の建立と伝へ、社人菅氏なり、本地仏馬頭観音堂本尊は運慶作、堂の棟札(文保二戊午九月十日)前長門守春朝再興」
とありて、後醍醐天皇文保二年に前長門守春朝が再興せしなり。