現在の祭神 |
湍津姫命 [合祀] 道反大神 <道反社> |
「羽咋市史 中世・社寺編」
湍津姫神社 吉崎村
鎮座地 吉崎町の西部ミヤマチに鎮座し東面する。
境内地247.94坪(神社明細帳)。
祭神 湍津姫命を主神とし、相殿に道反大神を祀る(神社明細帳)。
湍津姫命は弁才天と仰がれた。
道反大神は、もとヒガシデにあった無格社道反社の祭神で、オンドさんとよばれた。
昭和二十年十一月に合併されたのである。
社名 近世は弁才天あるいは湍津姫社とよばれたが、明治になってから弁才天社と称したのを端津姫社とし、さらに現在の湍津姫神社に改めた(神社明細帳では明治十三年のことだとしている)。
社格 明治初年に村社に列し、明治三十九年十二月に神饌幣帛料供進神社に指定された。
由緒 神社明細帳によれば、建治年間(1275~1278)の創建で、瀬戸の陶器商人が初めて居住し、当時は葦草が繁茂していたところから葦崎と称した。
さらに正平年間(1346~1370)に安芸の厳島より勧請したと記しているが、その詳細は明らかでない。
古老の伝承によれば、吉崎の開祖と伝えられるヨモンザエモンの勧請するところだという。
弁才天とよばれたのは湍津姫命の本地仏として八臂の弁財天女を奉祀してきたからである。
[中略]
合祀されている道反社は吉崎の東部に祀られていた地蔵で、オンドさんとよばれる。明治十三年の神社明細帳に「神体石像ニテ社殿無之候」とあるとおり、建物はなく雨ざらしのまま安置されていた。
「堂を建てるなら七間四方のお堂、そうでなければ雨ざらし」という託宣があったからだという。
地蔵菩薩であるが路傍に祀られているところから塞の神(道祖神)と見て古典に見える道反大神にあてたのである。
神職が司祭していたからであろう。